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トシちゃん 第208号

  • 執筆者の写真: 株式会社ビジョンクリエイト
    株式会社ビジョンクリエイト
  • 2018年11月1日
  • 読了時間: 6分

更新日:2024年6月17日

私はよく、土曜日にふらりと会社に出て来て、残った仕事やら考え事をまとめたり、ネット検索をしたりしています。 好きなカントリーを聴きながら悦に入っているのですが、たまに聴き過ぎてしまい、飽きて嫌になることがあります。

先日もそんな時がありました・・・ そんな時は他のジャンルの曲やuーtubeで航空機を観たりするのですが、たまにクラシックを聴いたりします。

その時はビバルディの四季が流れてきて、若くして亡くなった従兄弟の「トシちゃん」を思い出してしまいました。 確か、亡くなったのが40歳ちょいだったと思います。 自宅で夜中まで勉強して、その後にお風呂に入ったようで、翌朝になって布団にいないので奥さんが探したら、お風呂場で冷たくなった姿を見つけたそうです・・・ 心臓麻痺か心不全だったのかも知れません。 まだまだこれからだったのに・・・ トシちゃんには小さな女の子がいて、まだ1、2歳くらいだったと思います。

トシちゃんは私から言うのも手前味噌なのですが、とても優しい、心根が素直で小さい時から母親の言うことをよく守り、地元では超有名な中高一貫校に通っていました。 東京大学に毎年4,50人ほどが合格する名門です。 以前は100名前後が合格していましたが、近年は国公立の医学部へ受験が移っているようです。兎に角、地元では超優秀な学校で生徒も全国から集まります。

こんな従兄弟だったのに、家が隣で私が破天荒で人の言うことなど聞かない性格なのが面白かったのか、小さい頃からよくキャッチボールや硬式野球の真似事などして遊んだ記憶があります。 確か、私より4才か6才下でした・・・ 私は悪ガキでしたがトシちゃんは弟のようで、悪いことを教えたらいけないとよく思いました。私がやることが面白いのか、トシちゃんには憧れるような面があるのか、周囲から「ヒロちゃん(私のことです)の真似をしたらダメよと言われていたように思います。 何せ、私の悪ガキぶりは親戚内でも有名で、路面電車のレール上に石を並べて電車を止めたり、祖母が水で研いだお米の釜の中へ砂を思い切り入れたり、縁側で座布団にマッチで火をつけたり、高い石垣の上からまっ逆さまに落ちたり、お城の堀で捕まえた2、30匹の蛙を道路の上に落として車に轢かせたり、人糞を貯めた池に落ちたりと、こんな悪ガキでした。

他にも書けない悪さもしています・・・


従兄弟とはいえ、トシちゃんとは正反対の私を慕うなどあってはならないことです。

トシちゃんはやがて東京の大学に進み、卒業後はお母さんの望んでいた郷里へ戻り、そのまま市役所へ入り、地方公務員になりました。 市役所でも優秀だったのか、人事課へ配属されたり、自治省へ出向したりと、ただの田舎の公務員ではなかったようです。 本人が望めば、東京でもっと選べる仕事もあっただろうに、母親想いで親の望みを叶えてあげた気立ての優しいトシちゃんでした・・・ 一方、私も東京で大学を出て会社の真似事を仲間と起こして失敗し、田舎に帰って2年ほどして今度は大阪で職を得ました。それから随分とトシちゃんには会っていなかったのですが、ニューヨークへ嫁と行くことがあり、この時にトシちゃんが国の出先のニューヨークにある、日本を紹介する観光協会に出向していることが分かり、まあ、九州の田舎での従兄弟同士が何とニューヨークのど真ん中のロックフェラーセンタービルの日本観光協会で再会したのです!!です・・夢です、夢・・・


季節は12月下旬、クリスマスシーズンです。 ロックフェラーセンター前には大きなクリスマスツリーがあり、聖歌隊が聖歌を歌っていました!!

ああ、これは夢か?夢じゃないか?と思いました。 映画やドラマで出て来る、あのニューヨークのど真ん中です!! そこには映画でも出て来るスケートリンクもありました!! 本当に夢、夢、夢の世界でした・・・

そして、ロックフェラーセンタービルに入り、指定されたフロアーまで上がり、日本観光協会へ行き、扉を開けたら、日本人の女性スタッフがいてトシちゃんを呼んでくれました。 紛れもなく田舎でよく遊んだ従兄弟のトシちゃんがいました!!・・・ 思わず、二人して大笑いしてしまいました・・・ 何で、この二人が、今、ニューヨークのロックフェラーセンタービルにいるの???という感じでした・・・ とても愉快でした!!・・・

それから、我々はエンパイア・ステート・ビルへ行き、エレベータを乗りついで、確か102階だったか、最上階へ上がり、屋上へ出ました。 まるで、トム・ハンクスとメグ・ライアンの「めぐり逢えたら」のワンシーンです・・・ 少し暗くなっていて風が強く、寒くて、ここはニューヨークの摩天楼の屋上!・・・


トシちゃんは2年ほど家族と一緒にニューヨークへ駐在したと思います。 私達は最後にグランド・セントラル駅で別れましたが、住んでいるのはそこから電車で30分ほどの郊外だと言っていました。 その駅で一緒に撮った写真とビデオがトシちゃんとの最後の思い出となりました・・

あんなに性格の良い、優しい、思いやりのある人間が死ぬなんて・・・・


一人っ子を失くした叔母さんにも2,3年後に会いましたが、おかしくなったのではないかと思うほど宗教がかった梵字があちこちに何枚も貼り付けてあり、驚きました・・・ 叔母さんに促されて仏壇に向かった瞬間、失礼ながら、叔母さんは悲しみで狂ったのではないかと思いました。 何故か、私の写真が仏壇の中に置いてあったからです。 えっつー?!と、その瞬間、私は凍りつきました。

それで、おそる、おそる、これは?と聞くと、叔母さんはこう答えてくれました。 「トシちゃんと一番仲の良かったヒロちゃんが、トシちゃんみたいに早く死なないように、毎日、トシちゃんへ拝みながら頼んでいるの」と・・ それを聞いて、私は思わず「叔母ちゃん、有難う・・・」と答えました。

実は、私はニューヨークでトシちゃんに会った時の様子をビデオに撮ってあるのですが、さすがにトシちゃんが亡くなった後ではそのビデオを見せるのは忍びなく出来ませんでした・・ それから随分と月日が流れたのですが、今は逆に私が見られない気がしています。 年を重ねると、昔のことばかり思い出すので、なんか嫌ですね。

人は必ずいつか死にます。 分かっているけれどトシちゃんのことには実感がありません。 向き合うのが嫌なんです。単に、頭で理解しているだけです。

よく、いい人ほど早死にするという話を聞きます。 私にとっては正にそういう従兄弟でした。 人は生きている時よりも死んだ時にその価値の大きさが分かります。 私は散々悪いことをしたので、これからは人の為に頑張って、この世にその頑張りの痕跡を残さねばなりません。 トシちゃん、今度、機会があったら、ビデオをダビングしてお母さんへ渡すからね・・・ それから随分と歳月が流れましたが、今では私自身が見られないのです・・・

また会ったらキャッチボールしようなあ。 ニューヨークにも行こうな。 では・・・

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