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ワールドカップと薩英戦争 第58号

今月のテーマは誠に奇妙な取り合わせとなってしまいました。 話の展開が繋がらないかも知れないと心配しています。 感性的に咄嗟にこれで行こうと決めたからです。

先日、4年に1度開催されるサッカーのワールドカップで日本が出場し一次予選で敗退してしまいました。 誠に残念であり、悔しい思いをしました・・・ 1試合目、2試合目は選手もファンも「不完全燃焼」ではなかったでしょうか?・・・

しかし、一次予選の最終戦であるブラジル戦はそれまでと全く違いました。 夜中に行われた為、TV放映をリアルに観ることはしませんでしたが、かなりの確率で負けるだろうと予想していましたので、翌朝のTVニュースを観てもさほど驚きはしませんでした・・・ それでも驚いたのは、その日の夕刊を見た時でした・・・

試合の終わったグランドでたった一人、海外からの評価が高い中田英寿が一人だけ泣き崩れていた写真が掲載されていたのです。 私はこの写真を見た瞬間、中田に興味を感じました。 それは、この男(大変、失礼な言い方ですが)が抱いていた高く厳しい目標への意思の強さ、それに立ち向かう闘争心、或いは努力、忍耐というものが、結果としては報われなかったことが、この写真に表れたのではないかと思ったのです。 この写真を見て本当に胸が熱くなりました・・・

中田といえば、普段から決して愛想も良くなく、キツイ感想や短いコメントをする選手でした。 そればかりか、他の日本人選手と全く違い、戦略的で徹底した鋭く日本刀のような切れ味のする、日本人受けのしにくい選手だと思っていました。 どのインタビューでも厳しく、短く、そっけなく、欠点を指摘する発言が多いので、以前のイチローとダブって写っていました。 選手としては優秀だが、それ以上にコーチとか監督の立場で、それも海外で評価される人材だと思っていました。 しかし、その写真を見た限り、持てる力の全てを予選の全試合に出して夢破れた一人の闘う男の後ろ姿を見た感じがしました。 決して、後悔や懺悔ではなく、精魂つきるまで闘った一人の男の生の姿でした・・・

負けてからこんなことを言うのも大変失礼なことでしょうが、ブラジルに大敗して私は良かったと思っています。 というのは、中田のような選手がいるならば日本は必ず強くなるからです。 ブラジルとの試合は僅差などではなく、徹底的に実力の差で負けました。 個人技も体格も体力も闘争心も、スピードや技の全てが勝負にならなかったと思うのです。まるで大人と子供のようでした。 このことを忘れない限り、日本は絶対に強くなると思うのです。

日本らしさが発揮できなかったとか、どこそこの攻めや守りがどうのこうのではなかったと思います。 素人だからこそTVで見る差は「徹底的」に写りました。 これが世界の一流との「格差」(差ではありません)だと感じました。 私はそのことを中田は他の日本選手の誰よりも強く感じたのだと思います。 それほど、中田の目標は高く、妥協を許さない強い意志を持っていると感じました。 まさしく正確には、思ったのではなく感じたのです・・・

ここで話は急旋回しますが、幕末に生麦事件というイギリスと薩摩藩の間で起こった事件やその後の戦争を思い出しました。 私の田舎のことで少しは知っている話です。 薩摩藩の殿様の行列を、馬に乗ったイギリス人4名が横切ったのか邪魔したのか、その為に問答無用の無礼打ちにされた事件です。 イギリス人の1人が死亡、2人が負傷し、イギリスは事件の責任を薩摩藩と幕府に求めました。 幕府はその勢いに押され、賠償金として大金(確か、10万ポンド?)を支払いました。 薩摩に対しては、イギリスは犯人の引渡しや責任賠償を直接的に求めて来ました。

しかし、それでも薩摩は断固として拒否しました。 その責任はイギリスにある、日本国には日本国のルールがあり無礼だという主張です。 イギリスはこの回答に怒り、翌年、世界に誇る東洋艦隊の軍艦7隻を鹿児島の錦江湾に集結させました。 その目的は「威嚇」による犯人引渡しや賠償問題の解決にありました。

しかしそれでも、薩摩藩はそれに応じないばかりか、夜陰に乗じ物売りに変装させた決死隊を編成させ、沖に停泊しているイギリス艦隊へ切り込もうとしました。 これに対しイギリスは薩摩藩の軍艦3隻を拿捕しました。 そしてとうとう、海の荒れているある日、地上に備え付けられていた砲台80門から艦隊へ向け先制攻撃を仕掛けました。 これにより世に名高い「薩英戦争」が起こりました。 戦争の結果は思いもよらないものでした・・・ 薩摩もイギリスもその政策や方針を変更するキッカケになったからです。

鹿児島市内は艦隊砲撃により大きな戦火を受けました。 死者こそ一桁でしたが、殖産を計っていた当時の最先端施設であるガラス工場や造船所、或いは紡績所などは破壊されました。 一方、イギリスは戦艦3隻が被害を受け、艦長を始め数十名の死者を出してしまい、錦江湾から撤退して行きました。

戦争当時、薩摩藩では攘夷が主流を占めていましたが、戦争以降はその実力差を冷静に受けとめ、開国や尊王に転換して行きました。 生麦事件の賠償も幕府からお金を借りて(実際には借りたというより貰い取った感じだと思います)、イギリスに支払いました。 その額は幕府が支払った金額の1/4程度であり、切りつけた藩士の引渡しは行われませんでした。

イギリスはこれ以降、幕府に愛想を尽かし薩摩と手を組むことにし、薩摩に技術者の派遣や最新技術の伝授を行い、それが結果的には倒幕の有力な武力の差になったほどです。 これが薩英戦争の顛末です。

この話はサッカーの世界でも全く同じだと思います。 世界の一流とは格段の実力差があります。 しかし、その差は体力や体格だけで勝負が決まるのではありません。 それだけなら日本はワールド大会にすら参加出来なかった筈です。 実力差を謙虚に素直に認め、格差の背景や原因を見つめ、追いつく為の努力を必死にやれば、必ず、現状から先へ進みます。 サッカーの素人である私が観ていても、日本人は負け始めると諦めてしまうような精神力を感じてしまいます。 隣国の韓国は日本とは違うと思います。 決して諦めないで最後の最後まで必死にゴールを目指して動く、負けているからこそエネルギーを更に強く出す、そんな強靭な精神力を持っている様に思います。

経営も同じだと思います。 例え、時間はかかっても決して、決して、諦めないことだと思います。 諦めない限り、絶対に、必ず、一歩でも半歩でも目標に近づきます。 サッカーワールドカップはまた4年後にあります。 強くなることを目標に、ブラジルを目標に努力すれば必ず強くなります。

人は目標の高さによって結果や評価が異なります。 日本サッカーの目標はワールドカップ出場から予選突破に変わったのです。 その次はベスト8、更にベスト4、最後は優勝です。 決して諦めないことが最大の対策だと私は思います。 ジーコ監督が選手の自主性を重んじ育成したと言われるように、これからは日本人である私達が自分達を信じ、自分達の価値観やルールを強固に作り育てる番なのだと思う次第です。

目標が高ければ高いほど、満足すべき通過点も高く、それは余人にはなかなか理解され難いことだと思います。 中田は正にその一人ではないでしょうか・・・ 企業人も同じで、目標が高ければ高いほど満足すべき通過点も高く、周囲には理解されにくく、且つ厳しさや努力も並大抵ではないのではないでしょうか?・・・ 偉大な事業家や経営者は皆、そうだったのではないでしょうか・・・

追伸 : 7月3日(月)夜、衝撃的なニュースが日本国中を駆け巡りました。 中田選手が現役引退を発表しました。サーカー界以外に進路を決める可能性が高いとTVで放映していました・・・

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