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出会いの数珠繋ぎ 第62号

今回は不思議な人のつながりについてご紹介したいと思います。 実はつい先日、日本経済新聞(以降は日経と略称します)朝刊である記事を見つけ、私の頭の中がグルグルと回り始め、いろいろなことがそこに結びついてしまいました。 結果的には、それを確かめるところまで実行したというのが要略です。

本コラム2002年5月号は「近江商人」というタイトルでしたが、その中に滋賀県雄琴にある旅館の話を紹介させて頂きました。 実は、この旅館が今回の出会いの数珠繋ぎのスタートラインなのです。 その旅館のホームページを見て、リピート客が圧倒的なことに気付き、この旅館には何かあるなと直感しました。 また、「館主プライベイト・サイト」なるページがあり、その中にご本人推薦の書籍タイトルが30冊余り紹介されていました。

私は実際に宿泊してみて感銘を受けたこともあり、後日、その書籍から読んだことがない十数冊を取り寄せ、一挙に読んでみました。 その中の一冊に、今回の数珠繋ぎの文面が書かれてあったのです。だから、日経新聞を読んだ際に直ぐにピーンと来たのです。

それはこんな文面でした。 (正確には本の描写と異なるでしょうが、意訳と思って下さい) それは、大阪府の南にある町で起こりました。 父親の経営している製材所に小学校3年の息子さんがやって来て、誤ってベルトコンベアに両手を挟まれ両腕を失ってしまったのです。 それからというもの、その子供は家から出ることも嫌がるようになり、閉じこもりがちにもなり、ご両親も不憫に思うばかりで、どこへ行くにも一緒の生活でした・・・

そうしている内に中学生の時、京都のあるお寺の住職さんが自分を救ってくれるのではないかと思い、ご両親共々訪ねて行かれました。 そして、対面したその子供はこの住職さんが自分を救ってくれる、また来たいと思い、そのことを住職へ頼んでみました。 すると、住職さんは来るにあたって条件を言われました。

その条件とは、「次から一人で来ること」でした。

大阪南部の町からそのお寺までは、電車を幾つも乗り継いで、2時間余りかかるのです。 しかし、その子供は通いたい一心で挑戦してみるのです。 初めてそのお寺に一人で行った時、その住職さんは子供に問いました。

「ここまで来るのに何が大変でしたか?」 子供は答えます。 「電車賃はお母さんが作ってくれた紐付きの袋を、首から掛けてその中にお金を入れて貰い、駅で周りにいる人達にお願いして、切符を買って貰えるように頼みました」。 「しかし、周りにいた人の中には気味悪そうに眺めるだけの人もいました。でも、親切な人もいて切符を買ってくれて、その上ホームまで一緒に来て呉れた人もいました」。 更に、住職は続けます。 「そんな人達に対してどう思いましたか?」 「腹が立つような人達もいましたが、親切な人もいるのだなあと思いました」 そこで住職はこのように言います。 「腹の立つ人達にもそれでも感謝するように。親切だった人達には心から感謝なさい」

「トイレはどうしました?」 子供はこう答えました。 (これ以降の答に私は物凄く感動したことを憶えています)

「そのことが一番心配だったので、物凄く考えました・・・」 「トイレまで知らない人に頼む訳には行かないし、かといってお腹が痛くなったり、オシッコしたくなったりすることがあったらどうしようかと考えると本当に心配でした」 「しかし、どうしてもここに行きたいので、とことん考えてみました。 お腹が痛くなったり、オシッコをしたくなったりするのは、お腹の中に食べ物や水分があるからで、お寺に行く前に食べたり飲んだりしなかったら、そうはならないのではないかと思いました」 「だから、お寺に行く前の日から何も食べないし飲まないようにしました」 黙って聞いていた住職さんは言いました。 「偉いの。本当に偉いの。人に出来ないことなどないのですよ」

実は、この子供は事故の後、足で字を書けるようになったのですが、この住職から足は不浄だから、これからは口で書きなさいと言われ、大変な苦労と努力をして字や絵が書けるようになったのです。

こんなことがその本に書かれてありました。 子供も住職さんもどこの誰か、その本では書いてありませんでした。

それが先の日経朝刊にある日突然、写真入りで絵筆を振るう南 正文さんという日本画家のことが紹介されていたのです。 私はビックリすると共にピーンと来ました。 「その本の子供だ!」と。

また、京都のお寺の住職さんこそ、実は大石順教さんという尼僧さんだったのです。 大石順教さんは、養子に入った先の父親に一家6人が刀で惨殺される事件に遭い、17歳で両腕を切られてしまいました。 日舞の上手な子だったと聞いていますので、さぞかしその胸中は語りようがありません。 この尼僧さんこそ、南さん以上の苦しい過去をお持ちだったのです・・・

私は新聞記事の出た翌日が休みだったので早速、京都のお寺を訪ねてみました。 順教さんは随分前にお亡くなりになっていたのですが、そこには間違いなく、ご本人直筆の「忍」の小さな掛け軸やそれ以外の絵が飾られてありました。全て口に筆を持って書かれたものでした。

このお寺にまで私が来た経緯は、実に不思議なもので、まずは、どこか近郊の温泉にでも泊まりたいとネットで宿を探して、雄琴の旅館から予算に合致していますとのメールが来て、その旅館のサイトを見て、圧倒的にリピート客の多い変わった旅館だなと興味を持って、実際に泊まってみて、館主の推奨する書籍を10冊以上買って読み、その中の一つの話を偶然に憶えていて、ある日、日経新聞を見てハッと記憶が繋がり、その記事の中の師こそ数奇な運命の中で主人公と同じように両腕をなくしてしまった尼僧さんだったとは・・・ こんな繋がりが4年半の中であったとは・・・不思議です。

私はごく普通のありふれた人間です。 悪いこともしましたし、少しだけ良いこともした人間だと思います。 これからだって同じような生き方しか出来ないありふれた人間です。 しかし、世の中にはごく普通ではないけれど、大変な苦労や難儀をして、この瞬間にも生きている人達が大勢いると思います。 自分の目線がどこにあるか、それで人の幸せや満足は違って来ます。 人間の欲ほど貪欲で無くなりはしないものはありません。

しかし、このような素晴らしい話を見たり、聞いたりすると、ほんの少しだけ自分の魂が磨かれる気がします。 それが少しでも多くの人に伝われば、社会や世の中はすこしずつ変わると思うのです。 それをやるのはお寺の中ではなく、私達が生きて暮らしている町や会社や駅や公園や電車やバスの中なのです。

最後ですが、南 正文さんは生前、大石先生からこう言われたそうです。 「生まれ変わるなら、手がない状態で生まれたい」と。 ・・・・・(私の絶句)

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