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友を偲んで 第23号

先月、とても辛い、悲しいことがありました・・・ 友人が48歳の若さで他界したのです・・・ これからという時に訪れた突然の出来事でした。 ここに慎んで哀悼の意を表すると共に、生前の交諠に対しまして深く感謝します。 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

思い返せば、彼とはかれこれ20年近い付き合いになるかと思います。 同じ会社にいたこともありましたが、当時は顔を知っている程度でした。 組織も大きく、社員も多かったこともあり、直接的に話す機会はありませんでした。 彼がその会社を辞め、別の会社に就職したことも全く知りませんでした。 その後、偶然に再会することがあり、それをキッカケに少しずつ交流が深まって行く様になりました。

当時、彼は営業部長でしたが、自社の経営状況に色々と疑問や不満を持っていました。 よく、「いつかは独立したい」と、話していました。

そんな事が度重なり、後年、遂に起業しました。

念願叶っての独立ですので、相当に張り切っていたことを憶えています。 どちらかと言えば、野心的で音を上げない頑張り屋さんでした。 そんな経営マンが、時には思わしくない結果を招いたりもしたようです。

随分と落ち込んだ時期がありました。 その頃は相当に疲れ果てていたと思います。

ミナミの飲み屋で深夜までよく飲んだものです。

飲みながら彼の吐き出す苦しさを聞いたものです。同情も激励も一緒でした。 当時はお金に苦労していましたし、社員のことも随分と悩んでいました・・・

創業から9年経ち、会社も3つに増え、社員数も82名になっています。 本当に頑張ったのです・・・・苦労したのです・・・・ 言いたい事も我慢して、じっと社員が成長するのを見守っていたのです。

しかし、彼も人間です。愚痴も沢山ありました。社員に向かって直接言えないことも沢山ありました。

社長業とは孤独なもので、時々、無性に寂しくなるものです。 会社の全ての責任を取る、最終的な判断をする。資金不足の手当てをする。言いたいことも我慢する。言い訳も言えない。同じ視点で話せる相手がいない。こんなことが死ぬ間際まで続いていたと思います。

毎晩のように一人で飲みに出かけることに繋がっていたんだと思います。

戦いの鎧を脱ぎ捨てて一人の個人に戻れる、そんな楽しみだったと思います。

彼とは不思議と馬が合うのか、生き方や、考え方は違うのですが、お互いを認め合い、許し合えるようなところがありました。

それは頑張っていることを認め合っていたからではないでしょうか・・・ 急に行っても会ってくれますし、普通は秘密にしておく内部事情もお互いに話し合える仲でした。 才覚もあり、度胸もあり、人情もあり、義理もある、そんないい奴でした・・・

彼が入院したのを聞いたのは、7月5日土曜日の夜7時頃でした。 「昨晩、いつも出かけている飲み屋で倒れ、救急車で病院に運ばれたのですが、既に意識が無く、心配停止状態で重体・・・」

私は自分の耳を疑いました。 心配停止、重体・・・ 「これは一体何? 何なの? 本当の話?・・・」 病院に駆けつけ、病室に入ってみると、そこには紛れもなくその本人が色々な器具を付けられて横たわっていました。 しかし、肌つやもよく、血圧も低いけれど安定していたので、専門家でもないのに私は大いに安心しました。 連絡をくれた社員さんに電話を入れ「大丈夫や。きっと元気になる。こんなことでダメになる社長じゃないって」と話しました。

それから7日の月曜日の夜に、再び電話がかかってきました。 「急に容態が悪化して、数時間から2,3日以内しか持たないそうです・・・」

電話の向こうで嗚咽が聞こえていました・・・

私は思わず、「泣いている場合じゃない。これからがもっと大変なんじゃ!」

病院に駆けつけてみると、ベットに横たわる友人の肌は少し黒くなり、足や腕の暖かさも一昨日とは違うようになっていました・・・・

私はつい、大声で、「起きろよ。こんなとこで寝てる場合じゃないやろ! 無責任やで! こんなことで負ける訳ないやろ!」と怒鳴ってしまいました。 一緒にいた3人の社員さんからも「社長、起きてください」とか「無責任や・・・」とか「どうすればいいのですか・・・」とか嗚咽が続いていました。

そして、8日の朝10時過ぎ、とうとう悲しい連絡がありました。 「たった10分前に亡くなりました・・・」 「なに?!・・・・」 電話の向こうでは泣き声ばかり・・・・

3度目の病院への訪問となりました。 そこには処置が終わった友人の姿がありました・・・・ 顔に掛けられた白い布をめくりと、諦めるしかない友人がいました・・・・ 私は何故か、情けない無気力感に襲われました・・・・ それからお通夜や告別式すら信じがたい夢のような時間でした・・・・ 最後に、私はお棺の中を覗き込み話をしました。

「これが本当の最後や・・・・ありがとう・・・・」 結局、私は一度も泣きませんでした。 悲しいよりも信じられない、泣けなかったというのが真実です。

彼が亡くなった日は偶然にも息子の誕生日でした。 忘れられない日となりました・・・・

今も彼の声が聞こえてくるのです。 「自分の分まで頑張って、会社を大きくしてよ!」と

告別式の司会者がこんな話をしていました。 「人間は生まれる時に拳を握って生まれて来ます。その拳の中には、いっぱいの夢が入っているそうです。死んだ時、その夢を周りの人達に分け与えて行くそうです。」

やっぱり、彼は何かを残してくれたのだと思います。

汗をハンカチで、一生懸命に拭いている姿、タバコを吸っている姿、どうですか、という挨拶の言葉、自転車にのってやって来る姿・・・・

この世での出会いを神様とその友人に感謝します。

ア・リ・ガ・ト・ウ ・・・・・・・・・ さ ら ば

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