今年2018年は地震や水害、そして台風の多い年になりました・・・ 今年はこれから3ケ月も残っていますので、このまま無事に終わるかどうか分かりませんが、地球温暖化の影響とか言われて、確かに夏は物凄く暑くなりましたし、豪雨も多いですし、想定外という言葉ももはや想定外ではなく想定内に入って来ていると感じます。
また、自然災害ばかりか、人のことも考えられないようなことも度々発生するようになって来ました。 無差別に居合わせた知らない赤の他人に危害を加えたり、年少者やお年寄りをターゲットにしたりと、凡そ以前の日本では考えられなかった事件も発生しています。 人間もどこか想定内ではなく、想定外のことが起こり始めています。 これからはどこまでが想定内で、どこらが想定外か分かりにくくなっています。
つまり、自然災害ばかりか、人のやることも以前のような考えられないことも想定内として、捉えなければいけない時代になって来ていると思うのです。 しかし、その逆の話もありますが、徐々に想定外が増えて来ている様に感じてしまいます・・・
9月に関西地方へ台風21号が襲来し、多くの傷跡を残しましたが、関西国際空港にも想定外の被害が発生しました。 関空とりんくうタウンを結ぶ長い橋にタンカーが何度もぶつかり、道路の半分が使えなくなり、その上、鉄道のレールも曲がったりしました。 幸いにも鉄道は改善しましたが、その電車からは海がむき出しの風景として車窓から見ることが出来ます。 その鉄橋の柵は飴のように曲がったままの姿です。 また、A滑走路が水に浸かり、何日後かに南側ウイングの発着場は回復しましたが、北ウイングは先月17日から南ウイングを使って、その一部で運行を再開出来ました。 意外と早い回復に驚きました・・・
実は、当社では4名が訪韓しなければならず、一人はフェリーで下関へ移動しそこからフェリーで訪韓し、残りの3名は航空券の取り直しを2回も行い、結局、航空運賃も当初の予約分より5割程上昇してしまいました。 自然災害ですので、不可抗力なのは仕方ありませんが、空港運営会社からも航空会社からも情報がなく、何日も、何度も何度も、関西空港と航空会社のお知らせ情報をネットで注視する毎日でした・・・
こういった場合に思うのですが、発信元は誤報やクレームや修正ミスを恐れるのか、情報を出さないのではないかと疑ってしまう程、情報が変わりません。 せめて、次は何時何分に次の情報を掲示します位はあってもいいのではないかと思います。 でないと、たまたまで別の予約が取れたり、取られたりしてしまい、何か他に方法はないのだろうかと思います。 実際に今回、そのような場面がありました。
別の航空会社のチケット残を見つけ、サイト画面に従って、決算処理をしていたら、エラーが表示されてしまい、 残席がゼロになっていました。 つまり、予約画面には入れたけれどクレジットを使った決算処理で遅かったのです。 ほんの何秒かの差だと思います。 そんな時に限って次の航空会社の便がなかなか空いていないのです・・・・ 一番困っているのは空港の利用者や航空機の利用者なのですが、情報が頻繁に更新されないので、端末に張り付いて粘らないとなかなか空席を見つけるのは困難でした。 こうなると、普段の予約が本当に有難く感じました。
東北地震の東北原発もそうでしたし、北海道の発電所もそうでしたし、関空もそうでしたし、豪雨も、北摂の小学校の崩れ落ちた壁もそうでした・・・ 時間のいたずらなのか、ちょっとした時間の違いで命が助かり、その逆は助からない・・・ なんと無情なと思います・・・ 何があっても不思議ではないし、何を準備していても運の悪いことは起こります。 そのことを北摂の崩れた壁の下敷きになった女の子には思いました・・・ あれは人災だと思いました。
それ以来、自分達で備えられることはやろうと思います。 私のようにあの女の子の何倍も生きていながら、こうして生きています。 あの子ももっと永く生きたかったに違いありません。 天は時に酷いなあと思う・・・ あれ以来、命に関わることがこれから先も起こりえるのなら、備えは可能な限りしていた方がいいと思うようになりました。
もし、地下鉄に乗っていて大きな川の底の下を走っていて、地震で電気が止まったらどうしますか? 大阪の地下鉄は川の下を走っていますから、水が天井から落ちてこないとも限りません。 地下街の多い大阪で天井が割れたらどうなります? 鞄の中に懐中電灯など入れてありますか? 周囲のビルの耐震強度はどれくらいありますか? 食料や水の備蓄はどれくらいオフィスにありますか?
私は心配性なので、ここまで考えてしまいました。 自宅には食料、トイレ、缶詰、電池、水、アルミの毛布、・・・こんなものが救急袋へ用意されてあります。 汚い水から飲料水が作れる袋やラジオまで入れてあります。 備えあれば憂いなしまではいきませんが、憂いは下がることは事実です。
兎に角、食べるもの、トイレ、寝るものなど重要なものもありますが、一番重要なのは情報です。 情報こそ人は安心でき、不安になるものはありません。 そんな情報が届くように関西空港は再装備すべきではないでしょうか・・・ 日本人ばかりではなく、外国人にも届く情報が必要です。 今回の海外出張では3回も航空券を買い直し、手に入れられた航空券は夜発で、朝着の便でした。 A滑走路南ウイングへの便は、未使用の時間帯での離陸出来たようですが、結構、疲れました。
近隣の代替空港利用も検討しましたが、便数が少ないし、時間もかかりますし、費用も馬鹿になりませんので実現性は低いものでした・・・名古屋や福岡も考えました。 こういったハブ空港である関空が、使えなくなった場合は伊丹や神戸を利用できることが最も効果的だと思いました。 更に、関空は周囲の防潮堤を想定外などと言わずに、もっと高くして欲しいと思います。
それにしても、少なくとも日本の気候は私の年少時代とは大きく変わりました。 これは間違いありません。 私の生まれ育った街は九州の桜島が正面にデーンと見えるところですが、夏は坊主頭に痛いほどジリジリと直射日光があたり痛いほどでしたが、それでもせいぜい31~33度位だったです。 ところが今は、33,34、35度など信じられない温度ですし、室外がそもそも滅茶苦茶暑く、涼しい自然の風なんか吹いてもいません。逃げ場がありません。 私は少々暑くても風がある方がいいので、よく窓を開けますが、湿った熱風が襲ってきます。 人口的な涼しさは好きではありません。
暑い夏には、あの田舎の原風景を思い出します。 木陰に入って涼しい風を感じつつ少し休むと、また元気になる自然です。 私は自社ビルをいつか建てたいという夢がありますが、その屋上には緑地を設けようと考えています。 それに街の真ん中ではなく、少し外れた地に会社は作ろうと思っています。
今回のコラムの最後になりますが、アメリカは都市が広いことも一因でしょうが、何が何でも都心でなく、田舎でもいいでの、本社を構える考えが好きです。 どうしても農耕民族である我々は一定の場所に定住しがちですが、私は思い切って働く人中心の本社を建てたいです。
増してや、海外取引も増やしていきたいなら、尚更そのように思います。 海外に出るのに、狭い日本の中で東京だ大阪だと言っていることが馬鹿らしく思えます。 その為にも事業の性質を変えなければと考えています。 いわゆる、ソリューション事業を拡大していかねばならないと思います。 その為にももっと会社を変えたい。
関西には今後も巨大地震の発生度が上昇し続けていると言われています。 心配しすぎても仕方がないですが、備えはしていた方がいいと思います。 これで安心などと言えることはないでしょうが、これだけは言えると思うのです。 我々の祖先はこのような環境の中で生きて来ました。 これからも生きて行きます。 しっかりと生きて行きます。 しっかりと生きましょう。 では。
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