今回はちょっと変わった話です。皆さんは「人の声」が印象に残ったことはありませんか?
声はそれだけで人の印象に残ることがあります。例えば声優という職業は今や立派な存在になっていますが、昔から今のように社会的に認知された存在ではなかったようです。当時でも声を職業にした人達はいましたが、それでも今とは社会的認知度も社会的地位も今とは随分と違っていたと思います。
今回は、私自身が声にまつわる人の話を披露したいと思います。特に音楽では勿論のこと、それ以外の分野でも声を聞いたことが大きなきっかけとなり、一生を通じてのファンとなった人達の話になります。ただ、その多くが既に他界されています。
それでは私の好きな10人の声や音を紹介します。パソコンで検索すれば、今はyou-tubeで簡単にその声や音や画像でその人を知ることが出来ます。技術の進歩とは改めて凄いなあと感謝する次第です。
では、順を追ってご紹介します。無作為に選んでいますが、最後だけは違います。心に沁みますので。
1.浪曲師 広沢虎造
私が幼稚園か小学生の頃にラジオからよく流れていたと思います。「旅行けば駿河の~」の名調子
を今でも憶えています。今の若い方は知らないでしょうが、ご存じ「森の石松」にまつわる「三十
石船」の中に出て来る名場面です。歌うは広沢虎造、虎造と言えば浪曲です。浪曲と言えば虎造
と言われた程の名人です。
「食いねえ食いねえ寿司食いねえ、神田の生まれだって・・・」の節は、私ですら憶えている位に
有名な場面です。
私が小さい頃はまだまだ内風呂の家が少なく、家族で銭湯へ行くのが普通でした。銭湯は広くて
暖簾をくぐると広い脱衣所があって、そこで裸になって大きなガラス戸を開けて、広い洗い場や
湯舟があり、まずは身体をお湯で洗い、子供にとっては熱めの大きな湯船に浸かるのです。数を
数え終わるまでは出ることが許されない、そういった場所でした・・・早く湯舟から上がるとお父
さんから怒られるのでジッーと我慢して浸かっていたものです。その熱いこと、熱いこと・・・
そして 、我慢して湯船の中で壁面に書かれた大きな富士の山と駿河湾に浮かぶ帆船、そして大きな
松の木がある、これがお風呂屋さんの定番でした。そんな時に番台の方から虎造の声が流れてくる
訳です。その風景がこの年になっても瞼に焼き付いて残っているのです・・・
湯船の中で足でも延ばしてバタバタしようものなら、知らない叔父さんに𠮟れるのも当時の風景で
した。壁に描かれた風呂絵は今では殆どなくなっているそうです。子供にとって見たことも行った
こともこともない、富士山の絵を見る度に、いつか必ず本物を見たいなあと思ったものです。
日本一の山だと言われて、子供心に憧れたものです・・・今では新幹線で見える度に本当に綺麗な
山だなあと日本人で良かったと思う瞬間です。何故か胸が熱くなります。小さい頃の銭湯の思い出
がそこにははっきりとの残っているのです。
勿論、そこには広沢虎造の浪曲も聞こえてきます・・・思えば、随分と生きて来たなあ・・・
人は皆、やがて死んで行くのですが、あの声を聞く度に小さかった自分の姿も思い出します。
もう、お父さんもお母さんも、お爺さんもお婆さんも亡くなっていませんが、どこかでまた会える
のでしょうか?・・・・
清水の次郎長や森の石松や大政小政など、今の世代の人達は知らないでしょうが、日本の芸はなか
なかどうして粋なものです。是非、石松の調子に乗って、「食いねえ食いねえ寿司食いねえ」のセ
リフを聴いてみて下さい。以下をクリックすれば、そこは浪曲の世界です。
2.イヨマンテの夜 伊藤久男
変わったタイトルですが、私には幼い頃の強烈な思い出として残っている曲名と歌手です。
実際には当時は幼かったので何も知りませんでしたが、その声量の大きさと繰り返し出て来る歌詞
の「イヨマンテ」が幼児体験として強烈に残っているのです。
会場は今は鹿児島市中央公民館という所です。公民館です、小さな公民館じゃないですよ。
竣工は昭和2年(1927年で当時は公会堂)です。ここに親に連れて行かれたのですが、まだ
幼かったので記憶も先程の部分しかありません。それが「イヨマンテの夜」という曲です。
本当に凄い声量で、怖い程の迫力に私は恐ろしかった記憶があります。曲名や歌詞の意味も知る由
もありません。ただ、ただ、声の大きさだけは初めての経験だったので恐ろしかったことだけは憶
えています。
この歌はアイヌの熊に関する曲のようです。歌っていたのは伊藤久男さんという歌手です。
これもyou-tubeに残っていました。凄い、声量です・・・
3.Footsteps スティーブ・ローレンス
何故か自分でも分からないのですが、小学生の頃から洋楽に憧れや興味があったのか、英語の
意味も発音も分からないのに、カルピスソーダの懸賞で当たったソノシートと言ったレコード
に似た柔らかいプラスチックのレコードを何度も何度も聴きながら、声を頼りにカタカナに変
えて一生懸命に一人で声を出して憶えたのです。勿論、曲を聞きながら今でも歌えるのは自分
でも不思議な感覚で、子供時代に憶えたことは永く忘れないようです。恐らく、私にとって曲の
乗りが良かったせいもあるでしょうが、何度も口ずさんで憶えた訳です。意味など知る由もあり
ません。
洋楽が好きになった原因は、恐らく白黒テレビが拡がりつつ時代に観た「名犬ラッシー」、「名犬
リンチンチン」、「ハイウェイパトロール」、そしてもう少し大きくなった頃に観ていた「ローハイ
ド」の影響が大きいと思います。ローハイドのタイトル曲はフランキー・レインという歌手が歌
っており、更にクリント・イーストウッド」が若い時に出ていた作品でした。
ストーリーは何百頭もの牛を運んでいくカウボーイ達のドラマでした。勿論、白黒ドラマです。
このドラマから私が大きな影響を受けたことは確かです。大きくなったらアメリカ西部で働きたい
と考えるようになったからです。このドラマもyou-tubeで見れます。
フランキー・レインが歌う「ローハイド」や若い頃のクリント・イーストウッドの姿も見られま
す。主題歌の中で「ローレン、ローレン」と言われる歌詞も当時、凄く流行りました。
これは秀作ドラマで、牛追いカーボーイが出る場面が多く、野外ロケ中心のドラマです。
4.碧空 ベルトケンプフェルト楽団
声ではありませんが、音として強く印象に残っている曲です。タンゴですが、中学・高校生になる
と少し背伸びして大人びたビッグバンドが好きになり、アフレッド・ハウゼ、ベルトケンプフェ
ルト、パーシーフェイス、ミッチ・ミラー、シルビー・バルタン、ジリオラ・チンクウェッテイな
どの音楽が好きになりました。勿論、カントリー好きはそのまま続いていました・・・
私の人生には歌謡曲の思い出が殆どありません。聞いたことやシングル盤を買ったことはあります
がますが、それ以上になりませんでした・・・
また、この頃には地元ラジオ局の洋楽リクエスターで、生番組でパーソナリティの方と話したこと
もありました。大学受験世代でしたが、勉強は学年が上へ行くほどやりませんでした・・・
父親との確執は相変わらずで口も聞かないで、他へ逃げていたのかも知れません。しかし、それは
それで良かったと今は思っています。何故かと言うと自立心が強くなっていったからです。
悔やんでみても取り返すことが出来ませんし・・・それでもカントリーのお陰で英語は嫌いにはな
りませんでした。今でも聞くよりは話す方が大事だと思う人間です。
この曲は唯一、音そのものが好きな曲です。何か広い碧空が頭の中で広がる感じがします。
5.By the time I get to Phenix グレン・キャンベル
この歌手から私のカントリー音楽好きは始まりました。若い頃に初めての来日コンサートにも出
掛けました。中野サンプラザでしたが、とても良かったです。結構、外国人の観客もいてグレンの
楽しい観客とのやり取りもあって人柄が感じ取れるコンサートでした。いやあ大学生の私には高い
チケットでしたが、本物に会えたのは感無量でした。青春の良き1ページとなりました。
ここからグレンの曲はありとあらゆる曲を聞く始めることになります。声が気に入っただけでな
く、性格の明るさ、親切さ、気の使い方、そしてギターテクニックが半端じゃないことも実際に
見てよく分かりました、そしてジム・ウェッブの曲が多いことも分かりました。
当時のLPは随分と買いました・・また、歌えるようになりたいと、一生懸命に歌詞も憶えたも
のです。亡くなったのは寂しいですが、娘のアシュリ―がカントリー歌手になって嬉しく思いま
す。
グレンを最初に聞いたのは「恋はフェニックス」(By the time, I get to Phenix)です。大人びた甘い
声と英語の歌詞に惹かれました。曲では朝、昼、夜と場所が変わり、その都度、電話をしたり、
相手の女性を思い出したりする内容で、結局は別れの曲でしたが、なかなか秀作でした。
ジム・ウェッブという作曲家と組んだ曲が多いのですが、グレンとはマッチしていると思います。
グレンは元々がスタジオミュージシャンでギターを弾いていたのでテクニックは玄人レベルで
す。ギターリストが褒めている位ですから本物です。売れるまでは有名な他のグループのバックも
やっています。まあ、陽気なアメリカンでしょうか・・・最後はアルツハイマーになり、闘病中に
亡くなりました。今はアーカーソン州の故郷にあるキャンベル一族の墓地に埋葬されています。
今でもグレンの曲は聴いています。言わば、私の音楽の大半が彼中心でした。グレンを有名にした
ヒット曲です。ジャケットも気にっています。
6.He'll Have To Go ジム・リーブス
若い頃、故郷で働いていた頃に会社の先輩に教えて貰った歌手です。偶然にも私と同じカントリ
ーファンでその先輩から、これはいいぞと教えて貰ったのがこの歌手です。LPを借りて聴いた途
端、そのビロードのような低音の声に痺れました・・何と言ったら良いのか、こんな声は聴いた
ことがそれまでなかったので暫くは聴き惚れていました。惜しむらくはこの人は飛行機事故で
40歳前に亡くなっていました・・勿体ない、惜しい人生だなと思います。しかし、今でもその
声を惜しむファンは多いでそうです。この人の声は本当に美しいです。是非、低音の魅力を堪能
して下さい。甘く幅の広い低音で女性なら特に魅了されると思います。
7.Stand by your man タミー・ウィネット
この方も亡くなっていますが、とてもとてもカントリー界では有名な女性歌手です。魅力は何と言
っても歌が上手い、高音が伸びやかです。若い時から苦労して生きて来た影が残っている感じで
表情や歌い方が人を惹きつけます。私のお気に入りの女性歌手の一人です。アメリカでは若い人は
知らないのではないでしょうか?・・・ロレッタ・リンやドリー・パートンらと仲が良かったと思
います。大御所です。何か、何処か、寂しげな人に思えます。声のせいでしょうか・・・
生い立ちやその後の人生も波乱に富んでいます。是非、この曲も心に沁みると思います。
男女平等のアメリカで貴方の傍に寄りそう女でいいのみたいな歌です。よく聴くよりもたまに聴く
とジワッーと心に沁みて来る歌手です。これぞ女性のカントリーなのかも知れません。
兎に角、高音部分は泣きそうな位の哀愁があります。是非、お勧めします。
8.眠 狂四郎 市川雷蔵
今度は映画俳優です。言わずの知れた柴田錬三郎の時代劇シリーズの主人公名であり、バテレンと
日本人の間に生まれた天性の剣人で、円月殺法なる技で抜刀した刀が一周回るまでに生きていた相
手がいないという相手が引き込まれる魔剣です。
映画で演じているのは市川雷蔵という歌舞伎役者ですが、声の低さと響きに引き込まれたファン
は女性に多い。30代後半の全盛期にこの世を去ったのが、更に惜しまれる由縁です。
私も好きな役者さんで誠に惜しまれる逸材でした・・・
ご自身の不遇な生い立ちと狂四郎の生い立ちが重なって見えるファンが多いと思います。
私は柴田錬三郎の著作は高校生時代に殆ど読んでしまったので殊更寂しい限りです。シリアスから
おどけた若殿役、或いは現代作品まで幅広く演じる様は短すぎる人生と皮肉にも不合理で狂四郎そ
のものだったと思います。
9.弁士 徳川無声
トーキー時代は弁士、それ以降はラジオの作品での声出し、キャラクターの吹き替えなどで勇名
だった人です。独特の語り口調にはまるで目の前に、その主人公がいるような錯覚まで感じさせる
凄い語り草でした・・・
年齢と共に語り草も変化していき、徐々に言葉の重みや色合いすら感じさせる迫力がありました。
目を閉じれば語っている話の内容が自分の瞼の裏に再現されていき、音声だけなのにどうして
こんなに臨場感が出るのだろうと小さい頃は思ったものです。映像がないからこそ声に迫力や臨場
感が出せるのでしょうか。この人の後にこおような語りが出来る人は殆どいなくなりました・・
上手に話せる方は大勢いますが、炙ったするめのようにジワッーと拡がって来る味わいは意外と
感じないのです。徳川無声にはそんな、するめのような味わいがありました。私が小学生か中学校
の頃です。世の中が技術が進んで便利になると、逆に不便になる部分も出て来るのが技術です。
人の味わいとはそういうことでしょうか・・・
10.Over the rainbow エバ・キャシディ
最後に挙げたこの方は歌手です。若くして病気で亡くなっています。生きている間は殆ど注目され
ていなかったのですが、亡くなってから紹介されるにつれ、大きな反響を呼び起こした人です。
生ギターと声だけの歌い方は聴く人の心にというか、魂を掴んだまま離ない歌い手です。
どうしてなんでしょうか?・・涙が自然に落ちて来るのは私だけでしょうか・・・
こんな若い人が死んでいないなんて・・・ウーン・・・
命とは無慈悲で酷いものだと思ってしまいます。私達は生きていて、毎日、何かを望んで生きて
います。それが何なのか、どれだけの価値があるのかと考え込んでしまいます。
何も考えずに、ただ、ただ、この女性の歌を聴いて下さい。
もう亡くなってから30年近く経ちます・・・
如何でしたか?・・どれか聴いてみましたか?
ここに挙げた方は全員、既に鬼籍に入れられた方ばかりです。
声を中心に私の好みで紹介しましたが、最も若くして命を絶たれたエバ・キャシディさんの声には思わず涙がこぼれ落ちた方もいるかと思います。
大切な自分の命です。自分に与えられた命を一生懸命に生きることが唯一無二の意味ではないでしょうか?・・・最後まで生き抜くのです。これしか言えません、私には。
今日も一生懸命に生きて行きましょうよ。そして感謝しましょう。
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