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年末を迎えて 第197号

もう今月で今年も終わります・・・ 私の人生に何十回もあった一年の最後の月です。 最近は年末という風情や行事も随分と変って来ましたが、それでも一年の最後の月であり、いろいろな事の締めくくりの意味もあるように思います。

私の回顧録ではありませんが、私は高校までの九州の地方都市で育ちましたが、父親が公務員だったこともあり、ボーナスが出た後の休日には幼い頃、母親によく買い物へ連れて行かれたものでした。 新しい肌着や靴下、或いは正月用の乾物や食材を買いに連れて行かれました。 そんな時、商店街の通りには戦争で傷を負った傷痍軍人が白い服を着て兵隊の帽子を被り、アコーデオンや義肢を付けた体で頭を下げてお金を貰っていました。 決まってそんな時、近づく私を母親は引き戻しに来て見ぬふりをして連れ去っていったものでした。 私はその人達が誰なのか知らないし、手足がなかったりしたので少し恐ろしくもあったのですが、興味が優先した少年になってじっーと見たりしていました。

一方、父親は師走も年末に近づくと、決まって私に命じる仕事がありました。 一つ目は近くの山へ出かけて、白っぽい土(私の田舎ではシラスといいます)をバケツ2個ほどにぎっしり詰めて持ち帰る仕事でした。これは手製の門松を玄関前に飾るための盛土と、玄関前の道をシラスでうっすらと隠して白くし清めることでした。 二つ目は、竹のホウキでその白い土の上を京都の龍安寺の庭のようにホウキで筋を付けることでした。 三つ目は国旗の準備です。黒と白?だったか、竹製の棒に日章旗を取り付け、最後に金色の丸い玉を先端に取り付けて旗を固定して終わります。 こんなことが少年時代の年末風景でした・・・

掃除が済むと母親から、豆腐買ってきてとか、近くの店で突き上がったばかりの鏡餅や飾り餅、最後には普通に食べられる丸餅や角餅を運んでくる重労働がありました。 その時のあんこ餅の美味しかったことは今も懐かしく思い出されます。

しかし、本当に大変だったのは母親です。 大晦日に半徹しておせちを作ったりしていましたし、元旦のお雑煮の準備もしたりで、今のように紅白歌合戦を一緒に観るなんて時間はそうはありませんでした・・・ また、正月の3日には30人以上のお客が一度に我が家に来て、焼酎や料理で宴会になるのでその準備も親戚も来て手伝っていました。 カラオケなどない時代ですので、皆酔うと、軍歌のオンパレードで、その内の何曲かは今でも憶えています・・・ 月月火水木金金とか、ぐんぐんぐん飛べ飛べ赤とんぼとか、朝だあ夜明けだ錨を揚げて、父よ貴方は強かったなどはこの時に憶えてしまいました。

こんな中、今でも母親の指先のことはよく憶えています。 指のあちこちであかぎれで切れて血が滲んでいて、それでも冷たい水の中に素手を入れて洗濯や料理や後片付けをやっていた姿です。 子供から見たら悲しい母親の姿でした・・・ 当時は温水器もありませんので、冷たい水の中へ素手で食器洗いや後始末をやっていたのです。 旦那さんより遅く寝て、起きるのは誰よりも早いのがその頃の母親でした・・・ 赤ん坊がいれば、背中におんぶして掃除や料理や拭き掃除をする、そんな姿はどこの家庭も同じでした・・・ そんな風景が私の母親の風景でした・・・

年の瀬は学校も休みですので、家の中で餅を切ったり、飾り物を準備したり、大掃除をしたり、障子を張り替えたり、ゴミ出したり、今と違ってやることが子供にも沢山ありました。 どこの家も同じようなものでした・・・ 懐かしい思い出です。

今ではそん風景もなくなり、画一的な年末風景が一般的となり、画一的なお笑い番組、同じ芸能人があっちでもこっちでもテレビに出演して、何か虚しい正月や年末風景になっているように感じます。 何でも揃うけれど、個性もなく季節感もない、行くところも観るものも同じようなものばかり・・・ もうそんな年末や正月は少なくとも私はうんざりです。

私はかつて京都のあるお寺に年末の朝一番に行き、写経をしていた頃があります。 早朝の京都のお寺の中、シーンと静まり返った底冷えのするお堂の中で無心に小一時間程かかって写経すると、足は痺れて痛いというより痺れが切れてしまい、暫くは立てない状態になります。 でも、気持ちは本当にいい気分でした。 しかし、遠い所なので何年かで止めてしまいました。 ストーブも炊いてありましたが、それでもとても寒かった記憶があります。 機会があれば、また行きたいなと思い出す年末でもあります。

私は何もかも恵まれている人生よりも、何もなくても気持ちが真っ直ぐになる方がその後の人生には価値があるように思います。

私も人生の三分の二位は来たので、そろそろ本物の質を身に付けたいと思うようになりました。 日本人はゴチャゴチャした部屋よりも、部屋の中にポツンと机がある位の空間の方がしっくりするのではないでしょうか? 若い時にはそう思いませんでしたが、無というか虚というか、そんな何もないことが今では最上の空間に感じます。

つまり、欲というものの後には無欲という、何も要らない欲が待っている様に思います。 そうは言っても私は会社を営んでいますので、利益を出したい、いい会社にしたい、知名度のある会社にしたいといった欲あも人一倍持っています。 その欲も突き詰めれば、社員やその家族や、自分の身内の為の欲であり、利他と言えばそうかも知れませんが人が喜んでくれる生き方が最上の生き方ではないかなと共感します。 日々これ精進。 この言葉が今の私にとっての生き方でしょうか・・・

今年も感謝の一年でした。 来年はもっと良い一年でありますように。感謝!!

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当初、今月は別のタイトルを考えていたのですが、たまたま観ていたYouーTubeで懐かしい歌手が歌っているのを観てしまい、自分の10代後半から20代始めを思い出してしまいました。その当時の友人や東京という大都会での生活や風景などが懐かしく思い出され、年を重ねた今になって懐かしい思い出となったその頃の話をさせて貰います。 私が若い頃は日本が高度成長期へ突進し始めており、経済成長と安保、ベトナム戦争と学