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束の間の墓参 第211号

2019年3月1日
読了時間: 4分

更新日:2022年6月20日

2月24日(日)、父が亡くなって納骨後、初めて一人で墓参をして来ました。 父と母の眠る墓は鹿児島市の市営墓地にあり、実に13年が経っていました。 父とは小さい頃からいろいろと確執があり、一緒にいることさえ息苦しい毎日で、何かにつけて苦痛の毎日でした・・・ その苦痛は父が亡くなって今でもどこかしらに残っています。 普通の父親と子供の関係はどこか私には経験のない部分が残っています。 私も執念深いのか、今でも父の命日も母の命日すらも憶えていません。 そんな私が、何でまたそんな遠くへ一人で墓参りなんて行ったのでしょうか・・・ 自分でもよく分かっていません。

伏線として考えられるのは、先月、人生で初めて入院するという、自分でも全く予想もしていなかった出来事があり、もっと遅かったら、一生に差し支える状況だったと医者に言われたことがあったと思います。なお且つ、仕事で偶然にも鹿児島に行くことになり、しかも割と近い所にその墓地があったからです。 最後に私の背中を押したのは、生きている内に両親の墓参りはしておかないと私でも悔いが残りそうだったからです・・・

その日は雨が降っていて、墓地の入口でタクシーから降り、近くの花屋さんで榊を買い、ろうそくとマッチとバケツと柄杓を借り、記憶が薄くなった両親の墓を探しました・・・ 20、30分歩いたでしょうか・・・・結構、規模のある墓地なので、似たような場所が多くて記憶も曖昧だったので、最初は見つかりませんでした・・・ 折角、ここまで来て榊と菊もありますので、帰るに帰れないので思い切って地元に住んでいる妹へ電話しました・・・

「なんで、鹿児島にいるの??」 「墓参りに来たの??」 「奥さんも一緒なの??」 「時間があるなら私も行ってあげるから待ってて・・・」

墓の場所はポイントを妹に教えて貰いました。 私は「時間がないから墓参りしたら、直ぐに戻るので来なくてもいいよ」と・・・ しかし、妹も正確には言えなかったようで、それでも見つけ出すことが出来ませんでした。それくらい規模の大きな墓地なのです。

そこで、もう一度、墓地の入口まで戻ってかすかな感覚を元に探し始めました・・・ すると、不思議にも両親の墓へ迷わずに行けたのです。

墓には百合や他の花が花瓶に挿してあり、枯れていました。 一通り、墓の周囲を掃除し、持ってきた新しい榊を供えました。 最後に、ろうそくを一本立て、暫くしてからその場を離れました。 離れてから歩いていると、拝礼していないことに気づき、また来た道を戻りました。 雨の降る中でしたので、体は濡れて冷えていました・・・ 私の家は神道なので、二礼二拍一礼して静かにその場を離れました。

これから先、もう二度と来ることがあるかどうかなので、道やお墓を写真に残しました。 その時、お墓と銘碑も写真に撮っておきました。 両親の命日すら全く憶えていなかったからです。 偶然にも、母の命日が4日後の2月28日でした・・・

亡くなったのは26年前で享年76歳でした。 ALSという原因の分からない難病でした。 発病して一年で亡くなりました。 死に目には会えませんでした・・・ 父は88歳で13年前に亡くなりました。 こちらも死に目には会えませんでした・・・ この父は87歳で腰骨の手術をした位元気だった人でした・・・ 親父との確執は今でも脳裏に焼きついています。 しかし、一方では理性も付いて許したいのですが、三つ子の魂でもないですが、体感したことはそう簡単には消えないのです・・・ これが今でも私の苦しみにもなっています・・・

今回の墓参は偶然といえば偶然でした。 何かの縁で鹿児島へ来て、割と近くで仕事があり、思いついたように墓参りとなりました。 実は直前まで迷っていました・・・行くか、行かないか・・・ しかし、来てみて良かったと思います。 母の命日も近かったとは思ってもいませんでした。

私は18歳まで鹿児島で育ちました。 地元で生まれ、地元で育ち、父と一緒にいるのが兎に角、嫌で嫌で、早く地元を離れたいと東京の大学へ入り、卒業後も好きなように自分中心で生きて来ました。 そして、今、両親が入っている墓前に立つと、何かしら残っていたことを終えたように感じました。 父は次男なので自分で墓を建てましたが、今はまだ両親の二人しか入っていません。 私は次男なので、死んだら墓を建てなければなりませんが、私は可能なら海に撒いて欲しいと考えています。 こんな世の中です。墓参りに来るのも大変です。あちこちに点在して暮らしています。 心の中こそ大切だと思います。

以前、友人の葬儀でお坊さんがこんな話をしてくれました。 「人は生まれる時に拳を握り、その中に何かを持って生まれて来ます。亡くなった時には手のひらを開いています。それは何かをこの世に残していくからです」 この話は今でも心に滲み込んでいます。 私は自分が死ぬ時には、何をこの世に残していけるのだろうか?・・・ こんなことを思いながらその場を去りました。 ほんの少しだけ、素直になれたのかも知れません。 不肖の息子でご免なさい・・・

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