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  • 執筆者の写真株式会社ビジョンクリエイト

東京オリンピック 第148号

先月の9月8日日本時間の夜明け頃、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開催されたIOC総会にて、2020年の夏季オリンピックが東京で開催されることが決定しました。

競争相手はスペインのマドリードとトルコのイスタンブールでした。決選投票で決まりました。

それまで日本は名古屋誘致、大阪誘致でも惨敗し、日本で2度目となる夏季オリンピック誘致

は無理かなと思っていた日本国民の気持ちの中、IOCのロゲ会長の発表には、直接、会場で

のプレゼンテーションに参加した関係者は勿論のこと、日本国中が狂喜したことは記憶に新し

いところです。

2020年に開催されれば、実に56年ぶり2回目の東京大会です。

今日は喜びに浸りながら、1964年の一回目、東京大会について話をしたいと思います。

私は昭和39年の東京オリンピック当時は、既に中学2年生でした・・・

郷里の鹿児島でテレビを通じてオリンピックの開催式を観ました。

その様子は今でもはっきりと憶えています。

各国の選手団入場の」最後に、真っ赤なブレザーを着た日本人選手団が登場するや、日本国

中の興奮は一気に高まったことも憶えています..

昭和39年当時は、日本が太平洋戦争で敗戦国となり、焼け跡から国民が一つになって復興

し、次第に国力が盛んになり、アジアの奇跡とまで言われた経済復興を成し遂げつつある時

代でした。

私自身、幼い頃に鹿児島市鴨池にあった海水浴場(今は当時の面影は全くなく、埋め立てら

れ、滑走路後は広い道路になっています)で、サイレンが鳴っては浜にあげさせられ、海中に

アメリカ軍が投下した不発弾が見つかることがよくありました・・・

当時、その海水浴場は飛行場のすぐ横にあり、コンクリートで作られた半トーチカの軍用機用

の格納庫が残っていました・・・今でもそのコンクリートの固まりを憶えています。

戦後10年、経ったか経たない位の当時の様子です。

それから、おやつは唐芋(鹿児島ではさつまいもとは言いません。唐から来たと言う唐芋と言っ

ていました)の蒸かしたものや、サトウキビ、庭に植えてあるトマトやきゅうりや野生のグミなどを

よく食べました・・・

着ている服は、皆が皆、袖で鼻水を拭くのでその辺りがテカテカと光っていたり、破れたところに

布を当てていたり、兄弟は兄貴のお下がりを着るのが当たり前でした・・・

本当に今、思い出してみると貧しいでした・・・

小学校の給食も始まり、コッペパンとジャムやマーガリンとおかず、そして思い出深い脱脂粉乳

という牛乳とはかけ離れた牛乳の代わりでした。この脱脂粉乳は飲み干すと最後に黒い砂鉄の

ようなカスがよく残りました・・・

そしてたまに甘いドロップみたいな虫下しみたいなものを食べていました。

その頃は回虫を持っている子供もいたしりして今では信じられない時代でした。

滅多に食べられないものに、卵、バナナ、チョコレートなどがあり、すき焼きなど肉が少なくて子

供達の競争は激しく、あっという間に肉がなくなり、最後はそのすき焼きの汁だけをご飯にかけ

て食べていました。

それでも大変なご馳走でした。今では誰も信じられない光景だと思います。

その当時は戦争の影響も残っており、子供の数が多く、3,4人はざらにいました。今の1.8人

など信じられない数です。

ちなみに私の小学校は中郡小学校といい、あの長渕剛と同じ小学校で、全校生徒が3000名

を超えていました・・・

5年、6年生はクラスが18クラスまであり、1教室55名はいたと思います。

何をするにしても、競争、競争の付きまとう世代です・・・

兄弟が多いと食べ物で喧嘩もするし、洋服も年長者のお下がりばかりで、新しい服など正月に

しか買って貰えませんでした・・・それがどこの家も普通のことでした。

ご飯は薪で炊き、お風呂も薪で沸かしました。

私は小学校時代からお風呂を沸かしていました。巻きも割って、新聞紙を入れ、マッチで火を

つけ徐々に大きな薪に移して行くのです。

時々は竹棒の先に穴の空いた棒でふっーと吹くのがコツでした。

スポーツでは力道山というプロレスラーがいて、空手チョップで白人の悪者をやっつけるのが

定番で、テレビの前には黒山の人だかりがしていました。

時々、興奮した老人がテレビを観て興奮して死んだりしていました・・・

それほど、人々は何かに飢えて、何かを目指しているような感じでした・・・

そんな敗戦国という何もなかった時代から生き残った大人達は今の日本の礎になったのです。

私の父も戦争に行って、足に負傷した跡がありましたが、命に別状はなく、終戦後に復員し、

地方公務員として働き、4人の子供を全て大学まで出してくれました・・・

正に、一生が苦労の連続だったと思います。

そんな時代が経過しつつある時に、東京オリンピックが開催されたのです。

当然のこととして日本国中が沸き立つのは当たり前のことでした・・・

日本が敗戦国から立ち直った象徴が東京オリンピックだったのです。

新幹線が開業し、高速道路も開通し、電化製品が家庭の中にどんどん入って来たのもこの頃

でした。

洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビ、クーラー、炊飯器などドンドン洋風化が進みました。

アメリカの一般家庭のコマーシャルや風景が日本人の憧れを誘っていました。

このオリンピックで日本は敗戦国から脱皮し、国際舞台に立つことが出来たのです。

敗戦国から僅か19年目の出来事です。

正に奇跡と言わざるを得ない出来事です。

2020年は果たして、東京は日本を代表して何を訴えるのでしょうか?・・・

経済力でしょうか、それともこれからの社会に示唆を与える日本独自の提言でしょうか?・・・

それとも世界平和でしょうか。

今、地球は国境を越えたさまざまな問題を抱えています。

局地戦争は相変わらずあちこちで発生し、大国の圧力は存在し続けるでしょうし、貧困の差も

ますます拡大するかも知れません。

アジアやアフリカ、南米の経済が活況になることも疑いの余地がありません。

効率とお金、この軸を中心に地球が回り続けている限り、それほど人類は変化しないように

思います。

オリンピックという、古代ギリシャで始まった人間本来の慈愛や平和、或いは愛情といった素

晴らしい素直な本質はこれからも存在し続けて欲しいと思います。

2020年、私は丁度70歳になります。

老人です。

可能ならば、今度こそテレビではなく、この両目で直かにその光景を観たいものです。

それと共に、日本が一つの範となる新しい先進国のあり方を見せて欲しいとも思います。

我々、日本人は農耕民族であり、狩猟民族ではありません。

本来、平和を良しとする民族だと思います。

穏やかで、喧嘩もせず、互いを敬い、譲り合う、そんな民族だった筈です。

それをこの機会に少しでも取り戻せたらいいなと思います。

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