最近、禁煙出来そうなので、吸うかもしれないという残り火を消す為に皆様の前でその経緯を紹介させて頂きます。
私が吸い始めたのは大学に入ってからですので、もうかれこれ32,3年になります。 私が生きている間の五分の三にあたりますから、相当永いということになります。 幸いにもヘビースモーカーではありませんでしたが、この間に吸った本数は1日20本として、実に237,250本、代価も今に換算すると2,965,625円になります。 まあ実によくタバコを吸ったものだと改めて感心してしまいます。
永い間吸っていたので、思い出もいろいろあります。 初めて吸った銘柄はロングピースでした。あの黄色いハトのマーク、はっきりした香り、強いタバコでした。それ以上に美味しかったのが缶ピースでした。 こちらは吸い方に少々コツがあるようで、それはそれで愛煙家の共通の話題になったりもしたものです。タバコが美味しいという表現は嫌いな人には可笑しいでしょうが、本当に美味しいタバコでした・・・ また、パイプをやっていた時期もあります。なかなか種火を持続させるのが難しく、たまにニコチンやタールが喉に逆流し苦い思いをしたこともありました。パイプはタバコも長持ちし経済的でしたが、パイプや道具に凝るような一面があり、シガレットとは違う格好良さがありました・・・(一時、だいぶハマリました)
年月も流れ、少しずつ世間で嫌煙が言われ始め、徐々にニコチンやタールを気にし始めました。 私も次第に、軽いタバコに代えてゆき、最後はフィリップスモリスの1mgになってしまいました。 当時は、喫煙者のマナーも今ほど悪くなかったように思います。 今では若い女性が歩きながら、或いは自転車に乗りながら、吸っている場面を見かけたりしますが格好いいものではありません。
私は過去に2,3回禁煙したことがありますが、意思が弱くやめられませんでした。 1度は1ケ月も続きましたが、アルコールを飲んでいて隣の人の煙の匂いにたまらなくなって吸ってしまいました・・・ こんな過去があるので、まだ禁煙3週間ですから、まだまだ危ないのが本音です・・・
しかし、今回は前回までと違う面があります。吸いたいという欲望が湧いて来ないのです。 酒の席も3,4回ありましたが、吸いたいなあとか我慢しているという感覚がないのです。喫茶店に入っても、手持ち無沙汰な筈なのに、妙に落ち着いているのです。 ひょっとして、自分の体に何か異変が起こっているのではないかと疑いましたが、どうもそうでもないようです・・・
禁煙のキッカケは本当に偶然から始まりました。 ある朝、ラジオで一冊の本が紹介され、それを読んだ余韻から始めたのです。 その本はタバコや禁煙の本ではありませんでした。それどころか実に素晴らしい感動溢れる本でした・・・ タイトルは「無医村に花は微笑む」 著者は将基面 誠さん、出版社は ごま書房、1,300円(税別) 私はこの本から「静かで思いやりのある強い意志」を学びました・・・ やり続けることの大切さ、諦めないことの苦しさ、人生の喜怒哀楽、感謝や謙虚さや素直さ、そんなようなことを学びました・・・ 読んでいて涙が流れました・・・ 電車の中でしたので大変弱りました・・・ 回りの乗客はさぞやビックリしていたと思います。中年のオジさんが泣いているのです・・・
この本を読み終えた時、大きな感動の中にいました・・・ 折角、感動したのですから、自分も共に行動として何か活かしたいと思い、何かやらなければと思ったのです。それがタバコをやめる決意になりました。 持っていたタバコとライターをすぐに捨てました。 (実際にはその夜どうしても吸いたくなり、社員から一本のタバコを貰って吸いました。実はそれが最後となりました・・・) よく、喫煙でどれだけ体に悪影響があるからとか、周りにどれだけ迷惑を掛けているからとかでやめる人が多いと聞きますが、私はそれではやめられませんでした・・・ 今も正確には禁煙中ですので不安もありますが、我慢している感覚が今回はないのです。
この本に出て来る主人公は著者自身であり、岩手県の寒村で無医村である田野畑村に赴任して以来、19年間の永きにわたって保健センター医師として精勤されたのです。 赴任前は千葉県の大病院で婦人科医長として勤務されており、どう考えても無医村へ行かれそうなタイプではない程のキャリアなのです。 その現役バリバリの先生が、奥さん、3人の男のお子さん、それに奥さんの好きな梅の苗木と一緒に赴任されて行かれます。 その後、奥さんは赴任直前に判明した白血病で4年後に亡くなってしまいます。 木更津の家でお葬式をした際、遠く離れた田野畑村から何時間もかけ、年老いた村人達がマイクロバスに何台も分乗して弔問に訪れて来てくれるのです・・・ 私はこのシーンが頭の中に浮かび、どうしても涙が流れて仕方がありませんでした・・・ どれだけ村人達に尊敬や愛情を持って愛されていたのか、このことだけで日常のことまで想像されるからです。 これだけで将基面先生と村人達の交流がどんなものだったか強く分かりました。 そんな先生だからこそ、3人の子供が教育問題で村を去った後でも、単身で永い間頑張れたのだと思います。
先生は医者の家庭に育ったとかではなく、幼い頃に満州からの引上げ時に、寒さと飢えと病気で妹さんを失ったことが医者になる強い決心になったそうです。 助かる命が助からなかった口惜しさです・・・ 亡くなった妹さんは2歳だったそうです・・・ ご自身は9歳・・・ きっと、きっと、きっと、口惜しくて、口惜しくて堪らなかったのだと思います。
今、お医者さんは都会では溢れ、地方では不足している状態です。 また、お医者さんになった人の多くが、学業の成績が良いからとか、親が医者だからとか、収入が良いからという理由だと聞きます。 同じようなことが世の中には一杯あります。 学校の先生、政治家、お役人、大企業の社員さんや社長さん・・・ どこか頭脳の優秀さと業績と能力だけで選ばれているように思います。 「どうしてなりたいのか?」という理由が軽視され、学業や能力の偏重があるように思います。好きだからという自分本意な気持ちだけでも不十分だと思います。 そこにはもっと深く、世間や他人様に対する「思い」が必要なのではないでしょうか? それは、感謝であり、謙虚さであり、慈悲であり、奉仕であり、思いやりであり、幸福であり、命であり、努力であり、一生であると思います。 私達は日本という自由の国に生まれ、自由にものを買え、自由に発言も出来、自由に行き来も出来ます。自由は当たり前であり、自由はその人を縛ったりもしません。 しかし、自分という視点こそ重視しますが、相手という視点は軽視されがちです。 このことはこれからの世の中では大きな社会問題としてクローズアップされて来るのではないでしょうか。人間は皆が幸せになる為に生まれて来たと思うからです。その為に生きているのではないでしょうか・・・ 自分のことばかり考える世の中より、相手のことを先に考えてあげる世の中であって欲しいと祈ります。
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