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第291号 本のタイトル

  • 執筆者の写真: 社長
    社長
  • 11月30日
  • 読了時間: 7分

突然ですが、今月号から社長コラムは廃止され、新たに会長コラムへと名称が変わりまし

た。理由は先月をもって私は社長を退任し、今月から会長へ就任したからです。

よって、社長コラムを改めて会長コラムへと引継ぎされました。内容的には今迄の社長コ

ラムと同様に私の書きたい放題、言いたい放題となります。今後も引き続き、読者の皆さ

んには私の気ままぶりをお届けさせて頂きます。今後とも宜しくお願い申し上げます。


さて、今月のテーマは「本のタイトル」です。好きなように私の思うことを順序に拘らず

に書かせて貰います。本コラムは20年以上も書き続けており、書くにあたり内容と共に

品質とタイトルで悩むことがあります。

私はタイトルが決まれば本文は割と楽に書いていけるタイプなのですが、タイトルが決ま

らない、言い換えると何を書くかが決まらない時が時にはあり、そういう場合には本文が

書き始められないことがあります。タイトルが決まれば、割と雑学的な性格の私は日頃に

思っていたり、考えていたことを書き始めることが割と出来るのです。しかし、だからと

いってタイトルが決まっでも間違いなく書けるか否かは、やはり書けない時もあります。

タイトルが難しい場合がそうです。そんな時には直ぐに他のタイトルを探します。手帳に

タイトルだけを記入して幾つか残しておくと、後で使えるから便利なのです。プロの作家

とは違いますので、その辺りのプレッシャーは間違いなく違うと思います。

私はまずタイトルが決まれば、くだくだとした文面でも私なりに論旨展開の添削が必要な

私流の文面は書けるものです。言わば、思いついたことを好きなように書くことは出来る

かなと思います。


しかし、タイトルが見つからない、或いは決められない場合にはそれなりに悩むことにな

ります。何が書きたいのか思いつかない状態に陥り、書き始めることが出来ずに悩みます。

人生でも同じことが言えると思うのですが、インプットがなければ、アウトプットも出て

来ませんから、なかなかに苦労します。時間は迫るわ、何を書いたら良いやらといった状

況になり、気持ちも焦ります。

物書きの偉い先生方でも書けない時は書けなくて、逃げ場に逃げることもあるそうです。

そうだろうと思います。私流に言えば、インプットがなければ、決まらなければ、アウト

プットは出来はしません。つまり、本文をなかなか書けないと思います。


著名な時代小説家の司馬遼太郎さんでも「龍馬がゆく」という本などは最初から題が決ま

っていたとは思いません。全体構想を考えた上でのタイトルだろうと思います。書きなが

ら出せるタイトルではありません。書きながら出せるタイトルは常識的な「坂本竜馬」に

なるだろうと思います。

私なら、最初はあらすじに沿って本文を考え、執筆しながら、当初考えていたタイトルと

は違うタイトルになっていたであろうと思います。

しかし、「竜馬がゆく」は新聞に連載された題目であり、予め筋書きが決まっていなけれ

ば書けないものです。タイトルも予め決められたものであろうと推察する訳です。その証

拠にタイトルの中に「ゆく」などとは私なら書けないだろうと思います。全体を予め決め

てのタイトルだろうと思います。相当、書くにあたっては素案を練っただろうと思います。

私なら、「一度きりの幕末」とか「生きて生き抜く人生」とか「天下人龍馬」とか、そん

なあたりでしょう。タイトルが決まれば、それに向かって自分の経験や思うこと、或いは

妙に捏ねくり回すことが好きなので、書けるのではないかと思ったりします。

事実、この文面もそうなのです。書きたいことを書きたいように、論旨展開もないような

展開で書いています。

司馬遼太郎さんの本物の原稿用紙に書かれた文面を見たことがありますが、棒線を引いて

別文に書き換えたり、文章内の置き場所を平気で変えたりしていて、それはそれは素人が

解読するには難解で、プロの編集者でも時間も確解読も必要だと感じました。私なら編集

者泣かせの作家だったと思わせる原稿でした・・・


偉い先生方でもそうなのですから、文章表現やその場所など考えない私などは読むに堪え

られない文章だろうと思います。所謂、論旨展開も滅茶苦茶で盆栽のように枝切りや針金

での体裁直しが必須です。また、それでも文面を格好よく構成しようとも思わないので、

単に書きたい放題の素人文面であることは間違いないと自信を持っています。

つまり、全く賢いなと思わせる作者とは無縁な男なのです、私は。要するにお喋りなだけ

なのです。理詰めの作家とは全く違います。食べたものをいつでも吐き出すのと同じだと

思っています。いい気になっていろんなものを飲み込むのでそうなります。自分のペース

を考えながら飲むタイプではないかも知れません。

実際、大学生になった時に先ほどの幼な友達のアパートへ行って、安いウイスキー1本を

15分以内に飲み干したら二千円くれるという賭けをやり、見事13分で空けたことがあ

ります。後先構わずにウイスキーを一本、ラッパ呑みにする訳です。もし15分以内に出

来れば2千円を貰えるというルールでした。ルールは喉が焼けるので、水も飲んで構わな

いというルールでした。結果は13分で達成しました。しかし、後の事は何も覚えていな

いのです。

翌朝まで飲み終えた後のことは何も憶えておらず、気づいたら服の上に吐いた後があり、

とても臭かったのを憶えています。


実はそうなのです、今もそんな書き方なのです。それが私なのです。

先日、その友達から突然に電話があり、農業を営んでいて畑で採れた作物を送るから、住

所を教えてといった連絡でした。こういった交わりをしているのが私なのです。もうかれ

これ70年近い友人です・・・いまだに当時のままです。こんな友達はもう彼しかいませ

ん。互いの住所を知らずに電話番号だけです。恐らく、サツマイモや根菜を私だけでなく

妹にまで送るそうで、昨日のような懐かしい幼友達です・・・


さて、本のタイトルの話についてですが、私は何かそれなりのものを書く際には先にタイ

トルをガシッと決めるやり方と、私のように好きなようにフラフラしながら最後に目的地

に着くタイプがいるように思います。前者は計算された論旨展開で的を外さない厳格な文

面です。

それでいて300ページや500ページの文章を書きあげる訳で、相当な調査と論旨展開

を予め考えていると思います。私は飲んべえのはしごと同じで、好きなように歩いて書く

タイプだと思います。

前者になりたいと思ったことはありますが、自分自身がそんな人間ではないので書けると

は思いません。思わないから書きませんし、また書けません。それでいいじゃないですか。

いろんな人が世間にはいて、それで面白いと私は思います。タイトルなしでピアノを弾く

人だっている訳ですので、何も決めることが目的でなくてもいいのです。

しかし、中には払った金を返せよと言いたい著名人がいます。中身は薄っぺらで買って損

したとハッキリ言える内容でした・・・誰とは言いませんが、タイトルにだけ価値ある内

容でした。中身は薄っぺらで文章間の隙間も広く、分量もありませんでした。ですから、

二度とその人の本は読まないだろうと思います。


結局、タイトルは住所と同じで、その人の現住所を表していると思います。

なんとなくでなく、その人の元へ間違いなくたどり着けるものだろうと思います。

先程の「竜馬がゆく」などはその通りだと思います。何も正しく本を縮小したタイトルで

なくて良いのです。幼友達から送られて来るであろうサツマイモや根菜や何か書き綴った

短文こそが人生のタイトルなのだと私は思います。

恐らく故郷の土も運んで来るでしょうから、自宅の敷地に撒いておこうと思います。

今、思いつきましたが、著名な作家の書いた本のタイトルはその人の土だろうと思います。

良い言葉だと我ながら思います。そうなのです。その人の土なのです。



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