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自分の寿命 第106号

人は生きていれば誰もが必ず死を迎えます・・・ 平均寿命より早く亡くなる方もいれば、逆に100歳を超えるような長生きをされる方も結構いらっしゃいます。 日本は今、100歳を超えた方が昨年で全国に3万6千人余りいらっしゃいます。その内、実に86%が女性だそうです。 遺伝子学的に女性のほうが男性より長生き出来る仕組みになっていると聞いたこともあります。聞き違いでしょうが・・・ 男性の生き方はどこかしら滑稽で、息絶える鮭の瞬間と似ているようにも思います。何がしかの為にと思い、一生懸命に働いて、働いて、死ぬ間際まで働いて、そして亡くなる・・・どこか空しい生き物かも知れません。

生きていることは、反面、死に一歩ずつ向かっていることであり、あと何年という逆算が始まれば、自分の人生の残り時間が気になり始めた証拠ではないでしょうか・・・ 私はそんな一人です・・・

仲の良かった経営者仲間の何名かが、既に亡くなっていますし、年齢も私より若かったので、どうしても考えされられました。 「もう自分達にとって、死は遠い存在ではない。何かあっても 不思議ではないし、そろそろ死ぬ事もどこかで考え始めておかなければならない。死ぬための準備を少しずつ少しずつやっておこう」と・・・ 死ぬための準備とは、葬式やお墓のことではなく、自分の人生の成果をしっかり出し始めなければならないということです。 そろそろ、そんなことを真剣に思い始めています・・・ 死期は自分が考えているほど、そう遠いことではない、それまでに悔いを少しでも減らしておこうと思うのです。

若い時は死を実感を持って考えられることはありませんでした。が、今は自分の人生の残り時間を考えることが多くなりました。 「あとどれ位残されているのだろうか?」とか、「その間に自分の考えていることが実現できるのだろうか?」とか、「残された家族や社員の為にも早く借財を返済できるようにしておこう」とか、「この身体で無理はあとどれ位まで出来るのだろうか?」とか、あれこれ、こんな他愛もないことを考えたりすることも増えて来ました。

こんな私が、自分の寿命について信じていることが2つあります。 一つ目は中学生の頃、街中で観て貰った易者さんの言った言葉です。「貴方は70後半まで生きます」と。 二つ目は知人から薦められて氏名と生年月日だけで、その人の運勢を当てる方で、当時は会社社長をやっておられ会ったことすらないのに、電話の向こうから他人が知らない家庭の中のことまで言い当てられ、誠に不思議な思いをしました。 その方に自分の寿命を聞きましたが、そんなことは言えないと断られましたが、それならばと間接的に、40代ですか? 50代ですか?・・・と質問を続け、70代ですか?と聞いた時に「まあ、その辺でもいい人生なのでは・・・」と言われたのです。

この時、先の中学生の時の易者さんの話と一緒だとすぐに思い出しました。単なる偶然と言えば、それっきりなのですが、私には天から与えられている寿命は70代後半なのだと信じています。 しかし、運命は自分の努力で変えられるとも思っています。 しかも、単なる努力程度ではダメでしょうが、人に負けないほどの努力をすれば、寿命も少しは違ってくるとも思っています。

その方も仰っていましたが、運命は大きくその人その人で決まっているが、それだけで人生が決まる訳ではない。本人の努力次第で人生は変わるのですと。 こんな訳で、何となく80前位までが寿命で、努力次第で長生きも出来ると解釈しています。 その努力とは健康面だけでなく、心の健康も必要であり、私利私欲ではなく家族や社員やお客様や社会に対する努力も含まれるのだと思うのです。つまり、心の有り様が大切なのだと、この歳になって初めて感じました。

人生でやり残して死ぬことは悔いを残します。 悔いのない心境にはまだまだ到達しそうにありません。 むしろ、何も出来ていないどころか、人並み以下のレベルです。やらなければならない、やるべきである、いつまでも今のままではいけない、・・・そんな想いがずっしりとのしかかっています。 では、どうしたら肩の荷が少しでも軽くなるか?・・・

私はこう思います。 達観すれば、この世は仮の世です。 どんなに頑張って地位やお金や名誉や不動産やらを手に入れても 死んだら、その全てをこの世に置いて旅立たなければなりません。 いわば努力して成し遂げた成果全てをこの世に残して行きます。 もし、何かを持って死ぬと仮定すれば、それは形があるものではありません。形のない存在、それしか考えられないのです。 それがよく言われる魂の存在です。仮定ですから立証は出来ませんが、形のあるものだけが生きている価値だとしたら、やりたいことをやり、人様に迷惑をかけ、人を騙し、悪いことをしたら、良い人だということになってしまいます。 しかし、そうではないことは皆さんが知っています。自分だけの 利益を考えて生きた人がそのまま評価されることが、この宇宙を創り、太陽系を創り、地球を創り、人間としての存在を与えてくれたとは、到底、私には思えないのです。単なる偶然なだとは思えないのです。

この世で魂を磨くこと、それこそが究極のこの世=仮の世で最も尊い行為だと思うのです。 地位やお金や名誉や不動産などは、その人の魂を磨く為の単なる道具ではないでしょうか? 立派な道具もあれば、壊れかかった道具もあると思います。 しかし、魂を磨くという点からは、どれ一つとして何も違いはないのだと思うのです。その道具をどう活かすかが問われているのだと思います。

これからの人生の残り時間の中で、何ができるか、どこまでできるか、そのことを思いながら自分のあり方を自問しながら、社業発展、社員の幸せを追求して行きたいと願います。 物欲も大切なのです。しかし、それ以上に、心や魂を磨くことこそ人が幸せを感じる最大の支えだと思います。 小善は大悪に似たり、このことも実行しながら、残りの人生を精一杯生きて行きます。そして、夢の実現へ最大限、努力します。 今は亡き友人や知人の分まで生きて、何かを残したいと願っています。

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