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辛抱の賞味期限 第49号

先日、幕張で開かれたある技術関係のセミナーに参加して来ました。 土・日連続の2回で2泊4日という模擬実習中心のセミナーでした。 まだまだ知名度が低く特別な分野の為なのか受講生も限られ18名でした。 受講生は九州、大阪、名古屋、東京と広くから来ており、会社負担で来ている人もいれば、自腹で来ている人と様々でした。 中には一日目の研修終了と共に職場へUターンし(土曜の夜ですよ?!)、日曜朝には研修へ戻って来るようなバイタリティーある猛者もいました・・・ こんな受講生の中にいた為か否応なく感化を受けました。 受講前の低かった自分のテンションが急激に上がるのが分かりました。

実は正直なところ、私は当日朝までは気が重く参加したくない気持ちで一杯でした。 申込みこそ早めにしたものの、社長である私が何で今更、実学を学ばなければならないのかと社員のスキルやj向学心に不満を持っていたからです・・・ 勉強して欲しいと願ってもやっているように思えないし、自分達の将来をどう考えているんだろうといった点も真剣に考えて欲しいという不満もありました・・・

しかし、セミナーが始まるとそんな気持ちはどこかへ消えて行きました。 参加している人達の受講理由や地域や意気込みを聞いている内に、自分は辛抱が足りないなあと思いました。 参加者の多くは、情熱や使命感を持ってこのセミナーに参加して来ている人達でした。 教えて下さる講師陣は全員ボランティアで、しかも私より年長者が大半なのです。 休日まで潰して無償で教えているんです。 リタイアした悠々自適な年代なのに、若々しくはつらつとしているのです。 65歳とか68歳とか、そんな人達なのです。 まるで今まで何も不満や苦労がなかったような生き生きとした表情なのです。 キャリアのある方ばかりなので、それこそ相当の辛抱や努力をされて来た筈なのにです。

普通、人格者でもない限り、自分だけで辛抱や努力を永年に渡って継続し続けられる人は少ないと思います。 たいていの人は自分だけでやれば、途中で挫折したり、嫌になったり、投げ出したり、言い訳をしたりして終ってしまう人が多い筈です。 そこまでならなくても、理想と現実の格差にガッカリしたり、やる気が減退したり、醒めたりするいこともあるのではないでしょうか。

人の辛抱というものは、どれ位続くのだろうかと考えることがあります。 といいますのは、会社を良くして行くには具体的行動も不可欠ですが、それ以上に辛抱が欠かせないからです。頑張っても思うようにならないことの方が多いのです。 初めは気持ちも新鮮で、やる気もあり、力も入れて取り組みますが、変化が中々起きないとそのパワーもいつしか落ち、周りや相手に対して理想や批評を言う人になってしまう・・・ こんな経験を味わった人は多いと思います。 特に経営者には辛抱が不可欠です。

私は人が辛抱出来る期間を「辛抱の賞味期間」と勝手に呼んでいます。 経験的に言いますと、その期間は個人差もありますが凡そ2年~3年だと思います。

転職者の多くが在職期間2年~3年毎に考えるのも、両者が無関係とは思えないのです。 そこでよく考えてみると、2年や3年で目立つほど変わる会社も少ないと思います。 本来、変化は行動でのみで実現可能であり、こうあるべきだという意見や正論で変化するのではありません。 また、意見や正論が真っ直ぐ実現できるほど環境も甘くはありません。 5年、10年、・・・20年、或いは一生をかけて行動し続けて、初めて変化することも多いと思います。 永年に渡る行動の末、成果が手に入った人は非常に大きな成果を手中にしています。

何故、そんな人達は普通の人が出来ないような努力や辛抱を永年に渡って出来るのでしょうか?・・・ 情熱があって、志も高く、使命感も強いというような条件は聞いたことがあっても、頭が良いから続いたなどといった話は聞いたことがありません。 私なりに思うに、人によって枯れないような強い「辛抱の源泉」があるのです。 その辛抱の源泉とは一口で言えば、「私利私欲ではない」ということです。

人である以上どんな人にも欲はあります。 性欲、食欲、金銭欲、所有欲、出世欲、・・・こんなものが一杯あります。 特に、本能に近い欲は生命に共通のものであり、決してなくなりはしないのです。 しかし、理性によりその程度の差が人により発生すると思います。

例えば食欲もその一つです。 腹七分目とか八分目が健康には良いとされますが、私のようについ腹一杯食べたいという欲が出ると肥満になってしまいます。 その毎日の小さな差が結果に大きくなって表れるのだと思います。 つまり、私利私欲が少ない人ほど理性的で、多い人ほど利己的で問題も多いと思います。 もっと突き詰めれば、努力や辛抱が続くと私利私欲が少なくなり、他利他欲が多くなるのではないでしょうか・・・

世間には確かにそんな傾向があるように思います。 世のため人のために生涯を捧げた人は偉業を成し遂げています。 しかし、私利私欲で偉業を成し遂げた人は少ない上、二代、三代に渡って繁栄することも少ないのです。 結局、私利私欲では滅亡して行くのです。

ではこの差はどこから来るのでしょうか? 私が思うには、初めから私利私欲が少なかった人は少なく、人並みにあった、或いは人並み以上にあった人達が多いのではないかと思うのです。 そんな人達は、その分、頭を打つことも大きくて多かったと思います。

人はその頭を打つときが肝心だと思うのです。 更なる私利私欲に走るのか、それとも他利他欲へ向かうのかです。 その時、自分の中で精神の格闘が起き、その結果が分かれ目だと思うのです。 ここだけは人によって異なると思います。

こんな言葉があります。 「起きて半畳、寝て一畳」 この意味することは私利私欲の究極だと思います。 また、こんな話もあります。 「人は生まれる時は何も持たず、死ぬ時も何も持って行けない」 この世は修行の場、仮の世界とも言われます。 この世で手に入れたものは全てこの世に置いて旅立たなければならないのです。 更に、海上保安庁の救助隊員が口癖にしている言葉があるそうです。 「必ず連れ帰って来る!」という言葉です。

感謝、謙虚、恩、反省、学習、努力、継続、努力・・・こんな言葉に共通するものがあります。 人の能力に限界はありません。諦めたときがその人の限界です。 決して諦めない、そんな強い気持ちです。 我々も同じです。 「必ずやってみせる!」という強い気持ちが必要なのです。

冒頭の書きましたセミナーへ参加してみて受講前の自分を恥じています。 目に見えない知らない人達が、今、この瞬間でさえ、日本のどこかで、どれだけ頑張って生きているかということを決して忘れてはならないのです。

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