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WBCに想う 

先日、野球発祥の地であるアメリカで世界16カ国からプロアマ問わず、世界一を決めようとWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)なる大会が開かれました。 日本は第一回大会で優勝をしました。 お馴染みの高校野球のように一敗すればそれ以降の試合には参加出来ないルールでもなく、勝ち数を競うルールでもなかった為、他国から少しばかり異論も出た優勝でした。 しかし、優勝へのルールは事前に提示されていた訳です。 良いルールもありますが、そうとは言い難いルールであるのが現実です。 社会も同じで、良いルールもあれば必ずしもそうではないルールもあると思います。

このWBCの試合を観て、多くの日本人が一喜一憂したことと思います。 日本が一つになった、日本人であることを誇りに思う、そんな言葉がテレビや新聞で報じられていました・・・ それは、先の冬季オリンピックでのフィギアスケートも同じです。 しかし、敢えて私はここに疑問を感じてしまうのです。

それは日本人の愛国心に対する疑問です。 スポーツでは国民一丸となるのに、国家となると一丸になれない・・・ 中学や高校の卒業式で「国歌」や「あおげば尊し」が歌われなかったり、歌詞を知らなかったたりが今の日本です。 ピンと来ないとか、誰のためにするのかとか、何故そんな必要があるのかとかの話をよく耳にします。 何故、日本人でありながら日本がピンと来ないのでしょう? 何故、学校では「君が代」の歌詞や意味を教えないのでしょう? 何故、スポーツなら国民が一つになるのでしょう? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカでは野球の開催時刻になると国歌が流れます。 選手も観客も一緒になって帽子を脱いで、それを左胸前に置いて敬虔な気持ちで立っています。 あれほど個性とか民主主義とか自由主義とか言われるアメリカで、たった一試合の野球ですら観衆は一つにまとまります。 アメリカ人でアメリカが嫌いだという人は少ないと思います。 アメリカ人はアメリカ人であることに誇りを持っていると思います。 リンカーン大統領を尊敬するアメリカ人は多いですが、日本では歴代の首相の中で尊敬される人が多い人の名を聞いたことがありません。 その上、日本人なのに日本が嫌いだという人がいます。 そこまで言わなくとも積極的に好きだと言う人も少ないようです。 何故、こうなってしまったのでしょうか?・・・

私は日本人がかつて持っていた誇りを失くしつつあることを憂えます。 貧しくとも善悪の判断を持ち、勤勉を旨とする国民性を失いかけています。 幕末や明治初期に来日した多くの欧米人が、日本人は驚嘆すべき民族であると語っているのです。 その理由を要約すると、「日本人は藁や木で出来た小さな家に住み、米を主食に魚や野菜を食べ、身体は小さく貧しい人々ではあるが、物を盗んだり人を騙したり、そんな悪いことをしない民族である」と。 これは西洋社会の常識からは理解しにくいことなのです。 貧しければ犯罪を起こすのが西洋人の考え方だからです。

例えば、神戸の大震災では火事こそ多発しましたが、その騒ぎに乗じて物を盗んだり暴動をおこしたりするようなことはありませんでした。 しかし、アメリカのニューオーリンズでのハリケーンによる被災では略奪や暴動が起こり、州兵まで出て治安回復にあたりました。

この両国の違いは貧富に対する東洋的な価値観の違いから来ているのではないでしょうか?・・・ 特に、日本人は際立っていると思います。 貧しいことは決して恥ずべきことではないと日本人は教えられて来ました。 貧しさをバネに立派に社会的成功を収めた日本人は幾らでもいます。 貧しいから犯罪者になったという道理は日本にはありません。 発明王のエジソンですら、日本人の道徳観の高さに非常に関心を持っていたらしく、日本に関する書籍も数多く持っていたそうです。 彼の研究所には唯一人の日本人もおり、その日本人に対する信頼感は厚く、何泊もするピクニックなどへも同行させていたとのことです。

今、日本は欧米化の方向へ進んでいます。 全てが欧米化へとは言いませんが、多かれ少なかれ含まれているように見受けます。 損より得、他人より自分、社会より私欲、善悪より好き嫌い、倹約より使い捨て、終身雇用より能力主義、年功よりも実力主義、情緒的文化より個人情報保護、被害者より犯罪者擁護、倫理より法律、中身より外見、・・・・・・・・・・・

日本は美しい国です。 四季もあれば人情の機微もある、まだまだ地方では人中心の日常が残っています。 古くから人々の間に明示されていないルールがあり、それを守ることで秩序が守られて来ました。 良きことと悪しきことを小さい頃から教えられ、世間という社会が道を外れた者を叱咤していました。

個という単位では体力も規模も欧米人などには劣ると思います。 それは先のWBCでのキューバ戦を観てもそうだと思います。 パワーはアマチュアのキューバの方があります。 しかるに日本が勝ったのは「和」(チームワーク力、団結力)の賜物です。 聞くところによると、当初はバラバラの集団だったそうです。 途中で王監督の自腹での飲食やイチローの檄もあったようです。 イチローの評価がこのWBCでグーンと上がりました。 それまでのイチローは、決してそんな好感ばかりを感じる選手ではなかったと思います。

それは、あるテレビ局の決勝戦前でのスクープ映像でした。 そこには、プロ中のプロという目標や意識の高さと、古来から日本人が持っている「道」の生き方を同時に垣間見たような凄さを感じて、私は自然と鳥肌が立ちました。 それはイチローと先発投手との会話でした。 イチローが一言。 「お前、野球をなめているだろう?・・・」 先発投手が「エッ?・・・」 再びイチローが「他の者には分からなくても俺には分かる。お前、野球をなめているな?」 先発投手が「そんなことありませんよ。少し疲れているだけですよ・・・」 イチローが最後に、「野球はそんなに甘いものじゃないぞ」 直後の決勝試合で、その投手は先頭打者ホームランを浴びてしまいました。 でも、その投手は立派にMVPを貰いました。

私達は間違いなく日本人です。 好きだろうが嫌いだろうが日本人です。 決して欧米人ではありません。 なりたくてもなれるものでもありません。 独自の文化や芸術を持ち、独自の勤労観を持ち、独自の歴史や価値観を持っています。 これらは決して恥ずべきものではありません。 決して無条件に捨てて良いものでもありません。 見かけや外見に惑わされることなく、日本人としての価値観を基軸として持ち、それをしっかりと表現出来る国際人になれば良いのです。 その為には、日本の文化や歴史をもっと知っておくべきではないでしょうか・・・ 自分達のことを伝えられないのは、外から学んで真似をすること以上に貧しいことです。

坂本龍馬も結構、高杉晋作も結構、織田信長も結構ですが、大阪の緒方洪庵をもっと知りましょうよということです。 オリンピックでの金メダルやWBCでの優勝を通じて私達は代弁者を求めているのではないでしょうか?・・・ それは誰の代弁者か?・・・・・・・

それは「決して恵まれていないかも知れないが、私は誇らしげで倫理観の高い日本人です」ではないでしょうか。

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