人は一生に何回、引っ越しをするものなのでしょうか?・・・
私は自分が記憶しているだけでも、実家で2回、学生時代に3回、働き始めて からは8回もあります。 多い方なのか少ない方なのかは比べようもありませんが、少ない方ではないよ うに思います。 しかし、今月、おそらく、最後の引っ越しをします。
今、こうして振り返ってみると、引っ越しは、自分の人生の縮図だと思います。 何か人生の節目があって引っ越すものであり、何もない中で引っ越すことはあ りませんでした。 引っ越しは私には人生の節目と言えます。
こう考えると、生まれ育ってから今までに随分と遠い所まで来たのが感慨深く 感じられます。 小さい頃、夕焼けで赤く染まった広い空の下で、友達と一心に遊んでいた頃に 近所の家々から「〇〇ちゃん、ご飯ですよ~。早く帰りなさい!」と母親らし い大きな声が聞こえたり、夕餉を支度している匂いがどこからもなく漂って来 たり、円卓に座って食べたおこげの味など、何の心配のなかった子供時代から 本当に今の自分がいる遠くへ来たなあと思います。
自分の今は、幼い頃のあの日に較べて本当に幸せなのだろうか?と思うことも あります。 人生は楽しくもありますが、反面、試練も多く、過酷であり、非情であり、ま た思い出多いものです。 そんな人生の中には節目節目に必ず引っ越しがありました。
今度の引っ越しは、どんな節目になるのでしょうか?・・・ 家が手狭になり、当初は願望だけで、軽い気持ちで新聞の折り込みや近所のマ ンションを眺めたりしていました・・・ でも、ここで一生を終えるのかと考えた時、自分の中で「ここではないな」と いう想いと、まだまだ人生の終着駅でもないな、まだまだやりたいことが沢山 あるなという強いエネルギーがあり、自分の人生訓とも重なり、勇気を持って 引っ越すことにしました。 今、エルトンジョンのYOUR・SONGを聞きながら、何故か涙がこみあげて来ます。 人生の半分以上を生きて来て、その歌のトーンやリズムや歌詞が重なり合うか らでしょうか? それとも、私は老いたのでしょうか? それとも、まだまだと自分に言い聞かせているからでしょうか?・・・
いずれにせよ、私は今月、引っ越します。 永い人生の中のほんの一コマに過ぎないかも知れませんが、今の家に仕方なく 置き去りにしなければならない思い出も沢山あります・・・ 引っ越しは、やっぱり間違いなく人生の節目なのです。
チラシを見ていた頃からここに至るまで約一年かかりました・・・ 先ほども言いましたが、新聞のチラシを眺めていたり、見学に行くようになっ たり、ネットで検索したりしていました。 何十件もの物件も見ました・・・ 契約書にサインする直前まで進んにもかかわらず、お断りした物件もあります。 でも、やはり、引っ越しには勇気も必要なのです。 自らの意志で引っ越すなら、やはり、勢いや打算や会社名などで決めては、き っと後悔します。 節目がいい加減だと、その後の人生にも影響が出ると思います。 時間はかかっても仕方ありません。
しかし、本当に望む家はそう簡単には見つかりはしません。 物件を見ている内に分かって来ることがいろいろとありました。 お金さえあれば、理想の家は早く見つけられる単純な結論も痛いほど分かりま した。 誰が考えても当たり前だと思うでしょうが、それが現実となって重くのしかか って来るのです。 しかし、現実は違うので、理想の条件を一つ外しては、条件を下げて探すします。 この繰り返しで、最後には当初の理想の幾つかは跡形もなく消えてしまいました。 それでも、それでも、ここでいいな!と決めた時には安堵と疲れがありました。 長い戦いがここで終わるからです。 しかし、実際にはそこからがまた、残された手続きや作業が山積みで、暫くは忙 殺されました。 今も結構まだまだ残っています。 そんな中でも心の中心にはズドンと家の存在があります。
引っ越したら、そこにも新たな出会や出来事が待っています。 そして、一つの節目が刻まれます。
人生には感動や悲しみや出会いが待っています。 来月の今頃はどんな新生活が始まっているのか待ち遠しい気持ちです。
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