昨年の10月号で実父が亡くなったことに触れましたが、まもなく一周忌を迎えようとしています。 この一年間、一度も墓参りに行くことがなく、不肖な息子だと思います。 墓が鹿児島市にあるということもあり、そう気軽に帰れる所でもないこともその一因です。 自分の故郷でありながら、そう簡単には帰れないのが私達の働き蜂の世代ではないでしょうか・・・・
我が家は神道なのですが、冠婚葬祭に際しては初めて体験することが多く、恥ずかしながらその度に、神主さんからいろいろと作法等を教わっています。 神道は日本古来の宗教でありながら、その内容等については殆ど何も知らないのが私達です。 これだけ永く生きていながら、親戚以外の葬祭は全て仏式しか経験がありません。 実際、親父の葬式でも神道と案内していても数珠持参の方がいらしたほどです。 ましてや亡き骸の前での作法など教えて貰わなければ出来ない有様でした。
それほど実生活では馴染みのない神道なのですが、私はあっさりしていていいなあと思うのです。 実家に住んでいた頃は、よく父が神棚の榊や水や塩、お米などを取り替えていました。 その後姿を眺めながら、不思議な気持ちになったものです。 何をしているんだろうか?・・・ お祖母さんの家には仏壇があって、お線香やろうそくやチーンと鳴るものなどは、何かの折に頭を下げさせられたので何となく馴染んでいたのですが、神棚は親父の独り舞台でした。 最後には、必ず拍手を打って終わりというのがセオリーのようでした。
そんな親不孝息子の我が家にも神棚があります。 自分で購入したものではありませんが、都会の狭いマンションですから、食器だと天井の間に神棚の高さを削ってギリギリにはめ込んであります。 以前は週に一度位の頻度で榊も取り替えていたのですが、この頃は便利なものが売られていて、合成だけれど本物そっくりで水も取り替えも不要な榊が売られており、それがいつからか我が家の神棚にあります。 本当に便利です。 衛生的だし、水も要らないし、お金もかからない。それでも時々は、米や塩や水を取り替えて、たまには宝くじも同席させて頂いています。
こんな信心の浅い私なのでご利益もある筈もなく、災難らしい災難がない分、神様に助けられているのだと感謝しています。 誠に妙な話ですが、私は自分の寿命が70代後半と今のところ信じ続けています。 不思議なことに時間軸や空間が全く異なる方から同じことを言われたことがあるからです。 ですから、その年代までは意外と楽観視した人生観を持っています。 無茶は出来ませんが、それまでにやりたいことをやれるだけやっておこうと考えています。
さて、親父との確執というか思い出というか、そんなことが亡くなってから思い出されます。 今にして思えば、やっぱりやりたいことをして来た親父だったと思います。 鹿児島なのでどこでもそうでしょうが、焼酎が好きで毎晩飲んでいました。 飲まない日はなかったのではないでしょうか・・・・ 知らない人がたまに泊まっていました。本人が知らないのですから、私達は全く知らないばかりか、雰囲気の違う朝の風景を何度も経験しています。
父は心臓が強かったことが長生きした理由の一つでしたが、私も赤ん坊の時、コンクールで入賞した健康優良児でした。未だ身体にメスを入れたこともありません。 この年になっても田舎に帰れば、叔母や叔父から、半分以上は私の幼少期の話になります。 どんなに手につけられない少年だったかという話題です。 いたずらは数知れませんし、私には思い出せないことも沢山あります。 そんな時、周りの大人達が一斉に口火を切ってくれます。 そんな暴れん坊将軍の私にもルールがあったようで、弱いものいじめはしない、やるなら自分よりも強い奴とやる、年少者は守る、嘘はつかない、正々堂々とやる、といった類のものでした。 今の世の中、こんなルールが消えかかっているように思います
10月早々にある一回忌に帰省しましが、実のところ、親父の墓前に何を語ろうかという心境です。 親父の眠る墓からは桜島が見えます。 青い海の向こうに左右がほぼ対称な噴煙を上げている櫻島が見えるのです。 こんなに恵まれたお墓はそんなに多くは無いとと思います。 私は次男ですので70歳後半になったことを考え、どこかに墓を準備しておかねばなりません。 変な話ですが、今からでもお墓を物色しておかねばならないのです。 誰だっていつかは必ずお世話になるのです。 今こうして親父のことを考えていると、人生の時間軸の長さを感じてしまいます。 それは長いようで短く、その間に、人間は一生懸命にやれば、かなりのことが出来るなという想いです。
88歳で亡くなった親父ですが、20年くらいしか一緒に住んでいたことはありません。 むしろ、離れて暮らしていた方がはるかに永いのです。 それでも、親父は親父なのです。 嫌いでもDNAで繋がっています。 自分が年を重ねて来て、どこかしら、癖が親父に似てきたのはその為だと思います。
一周忌、三回忌、十三回忌と徐々に親父の記憶は薄らいで行くでしょう。 それでもどんな父親であったかだけは自分の中に息づいています。 やがて、私も老いて、同じ歴史が語り続けられることと思うのです。 人の一生は一回限りです。 大切にしましょう、人の命と自分の命を。 そして、時間をもです。
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