今回は少し固い話になりますが、「信念」の話をしたいと思います。 信念とは、広辞苑では「ある教理や思想などを固く信じて動かない心」と説明されています。 教理とは宗教上の教えであり、思想とは判断以前の単なる直観だけでなく、直観内容に論理的反省を加えて出来上がった考えの結果だそうです。分かったような難しい観念的な話になるのですね。 単なる直観ではないことだけは確かみたいで、何やら堅苦しい精神世界に思えますが、私は自分が生きる上で自分の心の中での「心柱」(しんばしら。中心にある柱)だと捉えています。
心柱とは日本古来の建築方式で、木造の高い塔や建造物が地震や風雪に耐える為に工夫された、建造物の中心にある一本の大きな柱を指します。現代の話をすれば、東京スカイツリーにも活かされている技術で、揺れを抑える機能は有名です。 心柱には大きくて真っすぐな太い木が適しているのですが、そんな大木はなかなかありませんし、あったとしても古代は運搬も大変ですし、立てるのも更に大変なので、途中で接ぎ木してあるものが多いそうです。
分かり易く心柱を人に例えると、自分の心の中にどんなことがあろうが揺るがない、その人の大きく強い価値観を指します。 建物ではこの心柱が地震や強風に対して揺れを小さくするよう柔軟に動き、建築物の倒壊を長い年月の中で守って来ました。 また、建物の中心にあるだけではなく上から吊り下げられている構造なので動く構造のようです。 しかし、一旦取り付けられたら建物の中心にあるので、交換などは滅多に出来るものでもありません。
建築物の心柱は一度、建ててしまうと壊れたり建て直したりする以外はそのままですが、人間の心にある心柱は一瞬たりとも同じではなく、常に迷い、同じ考えを固く定めおくことが難しいものです・・・ 信じて行った結果が思うようにならず不利になれば、どうしてもその信念は揺らぎ自信も失くし、自己嫌悪にもなり、何が間違っていたのかと自分の殻の中で自問自答することにもなります。 散々悩んだ挙句に、定めた筈の信念も考え直してみたり迷ったりすることになり、絶対的な信念にはなかなか至らないものだと思います。 よく精神社会で言われる修行が足りない状況なんだろうと思います。 不惑などなかなかできるものではありません。 多くの場合、迷いの中で変更を加えたりして完成度の高い信念に辿り着いて行くのではないでしょうか?・・・
このように考えると人間の心は、本来がうつろい易く変わっても構わないものかも知れません。 むしろ、変わっていく方が自然なのかも知れません。 しかし、リーダーたる者がその信念を変えてしまうと、周囲は道に迷い、リーダーへの信頼も揺らぐかも知れません。 それでもリーダーに信念がなければその集団はただの烏合の衆となり、皆が進むべき道を共有することが出来ずに瓦解してしまうことになりかねません。 信念とは儲かればいいとか、目先の目標だけを求めるものではありません。 儲けることは手段ではあっても目的ではないからです。
目的は社員や家族やお客様や取引先や、挙句には社会がより幸せになることだと思います。 その為に手段や方法があると思います。 永く高い成長率を持つ企業や集団には必ず強い信念を持ったリーダーがいて、他社とは違う企業価値観を持っています。 それがそのリーダーの信念から出ていることは間違いありません。。 私が思ったように実現出来ていないのは、その「信念」の力が弱くなったことに起因します。 しかし、最近観たあるドラマで思い出すことがありました。
そのドラマは架空ドラマでしたが、主人公の敵である大企業の創業者からこんなことを言われます。 「そんなものが何の役に立つか? この世界は力が大事で、それ以外に大事なものはない。信念など何の役に立つものか!」と言われます。 力とは利益であり、権力であり、地位であり、力だということです。 その創業者が好んだ言葉は「弱肉強食」です・・・ 強いものが弱いものを倒し、それを吸収して更に大きくなるという考えです。 この創業者の信念でもあります。
このドラマはこんな場面から始まります・・・ 主人公の男子高校生が、その学校へ転校して来ます。 事件はその日に起こりました・・・ 教室内である茶髪の男子生徒が、気の弱そうなある男子生徒へパックの牛乳を頭から掛けているのです・・・ その転校生はそれを観て誰も何もしない教室で、いきなりその悪そうな生徒を殴ったのです。 そして、学校から話を聞いた殴った生徒の父親と、殴れた生徒の父親がやってきます。
殴られた生徒の父親は、貧乏から這い上がって一代でゼロから大企業へ育て上げ、権力も地位もお金の力も持っていた、先に話した創業者だったのです。 何も知らない転校してきたばかりの殴った生徒は、その創業者からこう言われます。 「私の前で土下座して謝れば赦してやる」と・・・ すると、転校生は「自分は何も悪いことはしていない」と言い返します。 実はその転校生はお父さんと二人暮らしなのですが、お父さんはその社長が経営する大手食品会社で働いていたのです。
その創業者はその転校生と父親である社員の前で、殴って怪我をさせたのは事実だから、息子が謝らないのであれば、その不始末は親が付けないとならない!」と言うのです。
しかし、殴った生徒の父親はこう答えます。 「子供には正しいと思うことには信念を持って生きなさいと言って、今まで育てて来ました。だから、息子に謝罪させることは出来ません」と。 結局、その父親は会社を辞めることになり、子供である転校生もその日で退学処分となるのです。
そしてある日、更に大きな悲劇が起こります・・・ 父親がひき逃げに遭い、亡くなってしまうのです。 その少年はその犯人を見つけ出しますが、犯人は何とその創業者の息子だったのです・・・ 少年はその息子を探し出して何度も何度も殴り、最後には大きな石で殴ろうとした時に、追っかけて来た刑事に止められ、裁判で有罪となり刑務所へ3年間入ることになるのです・・・
こういった筋書きは、いかにも韓国ドラマにはよくある話なのですが、恨みや悔しさをバネにして成長するドラマが韓国には多く、私も昭和生まれで戦争が終わってから数年しか経っていなかったので、こういった貧しさや悔しさ、物がないといった設定には自分の幼少時代と重なるような感覚がいまだに残っています・・・ 私の育った頃は物がなく、食べるものも今ほどいろいろなくておやつはいつもサツマイモでした・・・ 小学校では休み時間に校庭で裸足になって遊んでいましたし、洋服の袖は鼻汁でテカテカ光っていましたし、家では丸いお膳に正座してご飯を食べていました。 たまに贅沢だったすき焼きが出たら、肉を食べた後の汁をご飯にかけてお替りをしていました・・・ そんな時代でした。
当時に育った日本人は、貧しさや我慢、悔しさ、残さず食べる、競争が当たり前、一生懸命も当たり前、努力、汗水流して働くといった言葉に共感する人が多いと思います。 特に父親は戦争にも行って生き残って引き揚げて来たので、死んだ戦友や焼野原の街を観て復興させる為に一生懸命に働いた人間だっ思います。楽しみは焼酎とプロレスやプロ野球でした・・・ だから、その創業者の苦労も少しは分かる気がします。
やがて、少年は刑期を終え出所すると、遠洋漁船に乗って7年間働いて帰って来ます・・・ 帰ってくると、直ぐに一軒の居酒屋をソウルのイティオンで始めます。 最初は客も来ない、料理もマズイ、店内装飾もダサい、メニューも書いてあるだけの店で売上も殆どない始末です・・・ 信念はあっても商売は何も知らない状態でした・・・ この商売を知らない若い経営者と他に3人の若者のこの店にこれから変化が起きて行くのです。 どんな変化かはドラマを観れば分かるかと思います。 NETFLIXでどうぞ。タイトルは「イティオン・クラス」と言います。
実は主人公の生き方に私は日本流の「敵討ち」を思い出したのです・・・ 赤穂浪士と同じで、藩や藩主ではなく、自分と父親の仇討ちです。 しかし、主人公には強い信念があって、そこが歯がゆい対応になったり、逆に周囲から応援を受けたりするのです。 例えば、どんなことがあっても従業員は守るという信念や汚い手は使わないといった信念です。 敵側となった創業者は大企業であり、「強さ」、「財力」、「権力」、「地位」があり、こちら側には「信頼」、「家族」、「助け合い」といった信念しかないのです。
しかし、青年の居酒屋はいろいろな問題を自分達の知恵や努力で乗り越えて、次第にその大企業の創業者に目障りな存在になっていきます。 自分に逆らい信念を曲げないことへの苛立ちや創業者の重なる邪魔にもくじけない強さに、その創業者の手段はエスカレートしていきます。 それでも青年の店は諦めそうな状況でも何とか乗り越えていくのです。 こうなってくると、周囲に応援者も出始め、青年が目障りな大企業の創業者は更なる邪魔をどんどん仕掛けていくのです。 それでもその度に青年は力や権力やお金ではない信頼や知恵や工夫で乗り切っていくのです。
やがて、青年はある時、従業員の命を救う為に大企業の創業者の前で土下座をします。 勝ち誇ったような創業者は相手をねじ伏せた象徴の土下座に勝ち誇るのでした・・・ しかし、青年には土下座は少年の頃に求められた土下座の意味とは違っていたのです。
その後も続く潰し工作にも負けずに、青年の事業は拡大し続け、ついに株主総会で創業者の周囲を切り崩しに掛かりますす。 それにも屈しない創業者は大企業内部からの告発により、不正疑惑や賄賂、不正会計が明らかになり、世間やマスコミや検察から追及されることになります。 株価は暴落し、株主も離れ、実の息子もひき逃げ事件の真犯人として逮捕され、7年間の実刑判決を受けて投獄されます。 そして、青年は創業者の命だった大企業を買収し傘下に加えます。
このドラマは元はと言えば、悪事やいじめを繰り返していた創業者の金や権力や地位で抑え込む経営が、青年の信頼を基にした経営に負けてしまうというストーリーです。 果たして現実にそんなことがあるかは分かりませんが、現実はそう簡単ではないと思います。 それは最後に、大企業だった創業者がその青年の店へ出向き、会社を救って欲しいと土下座するのですが青年はこれは断ります。 「これはビジネスです」と言い返すのです。
私も会社を経営する上でも生きていく上でも大事な基軸とは「信念」だと思いますが、もっと厳しい言い方をすれば迂回路を通ってでも続けて目標を達成出来れば良いと思っています。 信念とは見かけではなく、内なるものだと思っているからです。 目に見えないものは信念であり、それを形に出来た時こそ大きな具体的な力になると思います。 大企業を実際に作った人達はこんな話もしています。 運は必要だと。 運のある人と運がない人がいたら、運のいい人と取引をしたいと・・・ これこそ何なのでしょうかね?・・・
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