top of page

移転 第70号

  • 2007年7月1日
  • 読了時間: 5分

更新日:2022年6月21日

現在の場所で創業してから早いもので7年目も残り少なくなりました。 つい最近なのですが、思い切って事務所を引っ越すことにしました。 現在の事務所には創業時の懐かしい思い出が残っています。 どこか妙に、離れる淋しさがあります。 今も幸せですが、創業当初の事は殊更懐かしく幸せなこととして思い出されます・・・

当時の事務所には机と椅子が2対、家から持ってきた子機能付き電話機とパソコンとプリンター、そして来客用テーブルと椅子が4個でした・・・ 当時、女房とは家で一緒、電車でも、職場でも、昼食でも一緒の毎日でした。 そんな毎日の中で「どこか仕事を取りに回って来たら?・・・」とか言われながらも、1ケ月くらいはブラブラしていたでしょうか・・・ 女房からは「貯金は半年分しかないから、半年以内には何とか食べて行けるようにして下さい」と言われていたので多少はプレッシャーを感じていました。 私の呑気さとは裏腹に周囲の方が心配して下さり、その方の紹介で某企業のシステムコンサルティングの話がまとまり、「これで事務所代が出る!!」と歓喜した記憶があります。 その頃から社員も一人二人と増え、創業後2年目までは順風満帆の船出でした。

しかし、事業とはそんな甘いものではなく、3年目には大変な苦労をしました・・・ 当たり前のことなのですが、事業規模が大きくなれば動くお金の振幅も大きくなります。つまり、お金での苦労が始まったのもこの頃からです。 お金の苦労はそれ以来ずっと続いており、気持ちとは裏腹の方へ向かっているのが実情です。 そんな状況から少しでも抜け出したいのですが、なかなか思うようにならないのは、私にいい加減な気持ちがまだまだあるからだと思います。それでも希望だけは諦めないで頑張っています。その頑張りもまだまだ足りないのだと思います。

さて、引越ししようと思い立った理由なのですが、以前から漠然と引っ越したい気持ちはあったのですが、引っ越すにはそれなりの大金もかかりますので延び延びになっていました。 今回は思い切って引っ越すことにしました。 その理由は2点あります。 1点目は、昔から私を知っている人から「昔の橋元さんはエネルギーがあって凄かった・・・」と何気ない会話の中で言われたことがキッカケです。 私自身が忘れていたのでしょうか・・・人を育てなければとか、人に動いて貰わなければとか、ここは我慢して人に任そうとか、人を使う上での難しさや育成を重視するあまり、どこかで自分らしさが少なくなってしまい、それが事業の進展にも大きな影を落としていたように思ったのです。 そう言えば当時は、人のことなど構わない、気にしない、成就へ向けてのエネルギーがあったと思います。自分は自分でいいという単純な結論です。

2点目は、知り合いからかかってきた転職の電話です。 その方の顔も殆ど憶えていなかった位の付き合いなのですが、電話では何度も話したことがあり、親しみも感じていた方でした。その方は東京にいます。 その方から「最近会社を移りました。小さな会社ですが東京に拠点もあるので、そこに移りました」という電話でした。その会社は当社よりも規模も小さく技術分野も今の主流ではないのに、東京に拠点があるのです。その時も同じように「俺は何をして来たのだろう。何で東京に出られないのだろう?」と多少ショックを受けていました。

結局は「待っていたのでは何年かかるか分からない・・・事業はやはり待っていてはいけない。人が何と言おうが、皆が反対しようが、自分の決断で行動することも必要だ」と思ったのです。 バランスの取れた状態で東京に進出することが大事なことは常識です。それは正しい経営判断であるし、周囲の賛同や協力も得やすいと思います。 しかしその時、こんな話も思い出したのです。 それは以前お世話になった創業者への質問に対する言葉でした・・・ 「執念とは周りの人間が皆反対する時に実行することだ。逆に周りの者が皆賛成する時にはやらない方がいい・・・」。 この言葉の意味するところは実に簡単なのですが、具体的にどんな場合や状況や程度に使えば良いのか分からない言葉なのです。実に簡単な程度の場合でも皆が反対することもありますし、その逆もある。 しかし、創業者は大変な方でしたのでそんな程度のことを指しているとは思えません。が反対に簡単なことも含めて指しているのかも知れません。 私はこの意味がまだまだ理解出来ていない程度の経営者なのです。 しかし、事務所を移ることは決心しました。 何か具体的な当てがある訳でもないのに、事務所も移転した上に、この1年以内に東京に拠点も作る積りでいます。 攻めと言えば聞こえは良いのですが、そうではなく今までが怠慢だったのだと思います。 何の為に起業したのか、どんな覚悟で取り組んで来たのか、自分に残された時間はあとどれ位あるかといったことを忘れていたのだと思います。

生きていることは間違いなく死に一歩一歩近づいていることです。 私は70代後半が自分の寿命だと思っていますので、もうそれほど時間は残されていないのです。 あと20年あまりしかありません。 人生とは無情で冷静なもので、今からその20年あまり前を思い出すことは出来るのです。 それは30代でした・・・ そう考えると、それほど大したことが出来る時間が残されているとは思えないのです。 また、成果を出す能力や負荷も異なります。 だからこそ、時間を無駄にしたくないのです。

忘れかけていたことを思い出させてくれたのは、いずれも自分自身ではなく周囲の人達の言動でした。 自分の姿は鏡に写せても、自分自身の内面までは写せません。 自分自身の内面を写してくれる鏡は、やはり自分の周囲にいる人達でした。 私は今回もそんな場面に出会いました。 しかし、その自分自身を写してくれる鏡は大きい場合だけでなく、小さい場合もあるのです。 自分の感度が悪ければ、その小さな鏡は見えないのです。

一度しかない人生、一個しかない命です・・・ 悔いなく生きる・・・ 余すことなく自分の命を使い切る・・・ 勿体ない使い方はしたくない・・・ 他の誰とも違う自分の人生を歩みたい・・・ 当たり前は有難いことなのだと思います。 生まれて来て、生きていること自体そのものが、素晴らしい命の恵みではないでしょうか・・・

最新記事

すべて表示
変わった学習法 第297号

私がIT業界で働き始めた頃、よく頑張ったなあと自分を褒めたい程に勉強した時期があり、 その後もその時を思い出して勉強を続けたものです。一言で言えば、人とは違うやり方を経 験したことが自信になったのです。教科書的な勉強法ではなく、自分らしい違うやり方で効 率的に勉強した訳です。どうしても時間は誰にも平等な資源であり、時間の使い方自体を工 夫しないと仕事の質も生産性も上がらないからです。 私は技術者の

 
 
気になった出来事 第296号

今回は日常での思いがけない出来事について書いてみたいと思います。 去る三月下旬の夕方の地下鉄車内での出来事です。乗車した車両の三人掛けシートに明ら かに生活困窮者と思われる中年男性が一人座っていました。髪の毛はボサボサで長く伸び、 衣服は全体がかなり汚れていてあちこちが破れており、両足も膝下から丸見えで履いてい る草履も汚ない様子でした。当人の年齢層も定かには分かりませんが、私の推定では40 代半

 
 
貞観政要 第295号

中国の唐時代の書物に貞観政要(じょうがんせいよう)という、2代目皇帝だった 太宗(たいそう)(在位期間は626年~649年)の言動をまとめた書物があり ます。 呉 兢(ごきょう)という人が 編纂したもので、今から約1400年前の話で す。この太宗の治世下では戦乱が収まり、国情が安定し、人心も落ち着き、犯罪も 少なく、平穏だった時代だと中国の歴史上でも高く評価されているそうです。 その上に米の価格も

 
 

コメント


bottom of page