• 株式会社ビジョンクリエイト

花見 第56号

先月上旬に会社主催の花見をしました。 昨年から始め今年で2回目です。 昨年の参加者は7名、今年が13名でした・・・ 約2倍になりました。 とは言っても、今年は幼児が3名参加しており、実質は大人は10名でした。 それでも参加者が増えて嬉しい気持ちでした・・・

昨今は会社ぐるみの飲み会やら花見やら慰安旅行が敬遠されるのですが、当社では参加してくれる社員が自然と増えることを祈っています。 何故かと言いますと、こんな時代だからこそ、日本人として「和」をもう一度見直すべきではないかと思うからです。

世の中が実績主義、能力主義、成果主義、拝金主義に傾倒している中、良い面もあるでしょうが悪い面も増えて来たと思うのです。 例えば、若年層の凶悪犯罪、カッとなった上での無差別殺人、いじめ、親子関係の破綻、見てみぬ振りの増加、お金以上に大事なことの軽視、論理が優先する社会構造、力に依存した上下関係、年寄りを邪魔扱いする人達、・・・ こんなことがかなり増えて来たように思います。 こんな結果、人と人の交わりがどことなくギスギスし始め、心底から話し合える同僚や上司や、或いは尊敬できる経営者が少なくなりつつあります。

働く人にも「お金が全て」と言うが増えました。 経営者にも上場したら会社を売って、好きなことをして自分の人生を楽しみたいという、若手ベンチャー経営者も増えています。 こうなると何かお金ことばかりに人々が振り回され、人間としてもっと崇高で大切な本質を直視しないようになって行くのではないでしょうか・・・

花見などは仕事と無関係であり、、何よりも日本人が好む桜を見る集まりであり、開花期間も短く、はかなく風や雨で散って行く、そんな風情の中で酒を汲みながら愛で、美味いものも食べ、同僚や仲間と他愛の無い話や家族のこと、世間の話題を肴に屈託なく話せる場の一つだと思います。 そこには利害関係など存在しません。 しかし、まだまだ花見の酒の勢いで暴れたり、花見の跡はゴミだらけ・・・という傾向も残っていると思います。

今年はこんなことがありました。 当社の場所は、駅に近く、コンビニにも近く、公衆トイレにも近く、そしてゴミ捨て場も近い、恵まれた場所なのです。 かと言って、臭いがして来るような距離でもありません。 その為には、前夜に宴会が終了しそうな時間帯に来て良い場所を確保することが必要なのです。その場所へ持参して来たビニールシートを張って縄張りして帰るのです。 だから良い場所なのです。

当日のことです。 飲んでトイレに行きたくなりました。 トイレの前は行列が出来ます。 順番待ちです。

その時です・・・ トイレの前が少し窪地になっていて、そこに浮浪者らしき60歳代前後のおじさんが下半身丸出しで寝ているのです。 大事な部分を出したまま、横向きに泥酔しているようなのです。 花見客の飲み残したビールでも飲みすぎたのだと思います。 身一つ動きもしないのです。 傍には飼っているらしい首輪のない犬が一匹ポツンと。

その直ぐ横には、20名以上の成人男子が並んでいました。 誰もがそのおじさんの光景を見た筈です。 近くには家族連れや若い女性達のグループもいるのです。 並んでいる人の中にはそれらしい話をしている人もいました。 「すげえなあ・・・」とか、「信じられねえ・・・」とか。 しかし、それでも誰一人、動かないのです。

私も最初は周りの人と同じように傍観者でした。 用を足した後、私は見かねておじさんのところへ行き、大きな声で呼びかけました。 「おじさん、起きろよ。しっかりせんとダメじゃないか~」と・・・・ それでも全く動きません。 そこで私は仕方なく、おじさんの汚いパンツを引き上げ、オシッコで濡れていたこれまた汚いズボンを引き上げました・・・ それでやっと何とか大事な部分が見えなくなりました。 それでも、おじさんは全く動きませんでした。 しかし、息遣いはありましたので泥酔しているだけでした。

こんな時、私達はどうしたら良いのでしょうか?・・・ 警察の仕事だから警察に連絡したら良いのでしょうか?・・・ これに近いことは見かけたりすることがあるから放っておけば良いのでしょうか?・・・ 見て見ぬ振りをしておけば良いのでしょうか?・・・

一瞬ですが、私はこんなことを思いました。 このおじさんは幸せなんだろうか?・・・ かつては働いていた時期もあったろうに。家族がいて、それなりに幸せだったのではないだろうか?・・・ その家族は今、どこでどうしているのだろうか?・・・ 何でこうなったのだろうか?・・・ このおじさんと私はどこが違うのだろうか?・・・ ひょっとしたら殆ど同じではないのだろうか?・・・ 何かとても切なくて辛くて可哀想だなあ・・・ ・・・・・・・・・・・・

以前、ある講演会がありました。 講演者はフォームレスを経験したことがあるのですが、今では年商100億以上の会社社長なのです。 その時にも同じことを思いました。 「人生というものは何かちょっとキッカケでおかしくなる。自分の身に何が起こっても不思議ではないなあ」と。 更に「私達はちょっとした差の中で幸せに生きているだけではないのか」と。 そう思うと、「全てに感謝し有難うと言える」生活を、日常の中で心掛けることがとても大切だなあと。

この世は仮の世とも言います。 自分の周りに起こることに偶然はないとも言います。 宇宙も生命も星も何もかも何か根拠があって存在しているのだと思うのです。 現に、生命そのものにも「雄」と「雌」がいて、それらの生命活動で更に新たな生命が生まれます。 魚も猛獣も虫も人間も全く同じです。 それらの存在理由や根拠など誰にも分かるものではないと思います。 つまり、宇宙という絶対的な存在というか、何かそんなものが存在しているのだと思います。 その絶対的存在の前で、全ての存在が生かされているのだと思います。 それが神であり、天であり、全ての存在そのものであり、エネルギーなのだと思います。

そう考えると、日常の中で我が身に起きる出来事は全て小さなことなのかも知れません。 そして、それは偶然ではなく必然なのかも知れません。 ただ、私自身、一瞬、そんな気持ちになることもありますが、それ以外はそんな気持ちは持続しません。 つまり、まだまだ中途半端な人間なのです。

最後にしますが、来年も花見を開催する予定です。 そこで皆さんにお願いがあります。 花見にバーベキューセットを持ち込んでいる人は止めて下さい。 肉を焼き、煙や臭いを周辺に漂わせ、他の人達の迷惑になるようなことは止めて欲しいのです。自分達は良くても人は迷惑しているのです。 花見の場所でバーベキューをするのはどこをどう考えても立派な「ルール違反」です。

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当初、今月は別のタイトルを考えていたのですが、たまたま観ていたYouーTubeで懐かしい歌手が歌っているのを観てしまい、自分の10代後半から20代始めを思い出してしまいました。その当時の友人や東京という大都会での生活や風景などが懐かしく思い出され、年を重ねた今になって懐かしい思い出となったその頃の話をさせて貰います。 私が若い頃は日本が高度成長期へ突進し始めており、経済成長と安保、ベトナム戦争と学