世は正に転職時代です。 一昔前なら転職は「履歴を汚す」という考え方があり、転職=良くないこと というイメージでした。 今は逆とまでは言えないまでも、転職が一般的になっています。 中には、能力があるなら条件次第でステップアップすべきだと話す若者もいます。 正に自分にとってどうかが重要な価値観であり、人の為にとか会社に為になどという価値観は影を潜めてしまいました。 私は決して無条件に一昔前が良いとは思いませんが、かと言って今が望ましい状態だとも思いません。 当社の採用面接では私も必ず関わっていますが、「質問はないですか?」との問いに「年間休日日数は何日ありますか?」などと最初に聞かれたら、その場で不採用の烙印を押してしまいます。 それはその人にとって単なる質問なのかも知れませんが、本当に聞かねばならない重要な質問ではないと確信するからです。本人の問題や不明な意識レベルがその程度なのかと落胆してしまうからです。
このコラムの第一号でこんなことを書きました。 「私は自分の人生を10年単位で考えている。また、転換期が不思議とそうなっている」と。 しかし、10年単位でそうなっていても、そこにはいろいろな苦い経験や苦悩、或いは喜びもあります。 私達おじさんから観れば、今の世の中の価値観や若者の意識にはどことなく違和感を憶えるのです。 全員が全員、そうではないのでしょうが、それでも大きな流れは間違いなく冒頭の様子なのです。
私は将来に不安を抱いてしまいます。 人によってはそれでいいんだ、その時が来たら自然と補正する力が働いて何とか対応して行くだろうから、また、日本人はそうやって乗り切って来たという冷静な人もいます。 しかし、どう考えてもこれからは中国、インドやその他のアジア諸国が台頭し、欧米を中心とした先進諸国と頭越し外交や経済交流が盛んになるのではないかと推測してしまいます。その結果、日本は相対的に今よりももっと地盤沈下しかねないのではないかと思うのです。
それは正に国家の将来を担う若者の勤労価値観に起因しています。 勿論、そのように育てたのは我々大人です。大人が間接的であろうがそうして来たのです。 大人自身が自分の会社や社会が信頼できない、或いは信用できない状況を作り出し、それが次なる世代に反映して行ったと考えるのです。 リストラ、早期退職制度、子会社出向、自宅待機、専門外部門への異動、減給・・・などなど。 我が身は我が身で守れとか、一生懸命働いても会社はこんな仕打ちをして来たとか、バブル崩壊後の日本企業の生き残り策はそれまでの日本の企業倫理を超えたものでした。 その生き残りへの価値観は今も健在で、中には企業収益の為に一線を超えることもやる有名企業も新聞やTVで報道されています。不払い、贈収賄、天下りと談合、下請けへの皺寄せ・・・などなど。
このような社会や企業の環境になったからには、個人は個人で自らを守る戦略に出ても何ら不思議はありません。 むしろ,企業の価値観で行動する人種が妙に白々しく観えることもあります。 が、それでもです。 日本を大きな世界から観た場合、このままでは相対的に日本への期待感や存在感や発言力、或いは経済力なポジションは低下して行くことに大差はないと思います。 その根本は、日本には資源がなく資源を輸入して製品に加工し輸出して、それらの差益で潤っている加工貿易立国だからです。 そこに求められる最重要な資質は「勤勉と勤労」という人間そのものに尽きるからです。 それを怠り始めたら日本は繁栄の条件が一つずつ消えて行くのではないでしょうか?・・・
人により転職の理由は様々です。 収入、やりたいこと、人間関係、事業内容、会社業績、転勤問題、家族問題などがその典型です。 実は、今回のテーマは知人の一人に向けたメッセージでもあります。 その知人は今、転職を考えています。 10年以上勤めている現在の会社を辞めて、以前から個人的に興味を持っていた新素材というかニューテクノロジーというか、世の中に大きな変化をもたらす可能性のある仕事に転職したいのだそうです。 今は営業職なのですが、転職は研究補助員か研究職が目標です。 年齢は40歳を超えています。勿論、家族もいます。これからお金も必要になります。 自分の希望を実現すべきか、それとも周囲や家族の意見に従い思いとどまるか、本人は悩んではいますが、実のところ心の中では決めているように思うのです。 それは転職することです。 夢というか希望を実現する方を選ぶだろうと思っています。 それはそれで決して間違いではないでしょうが、家族を巻き込んで生活という面では不安定さを与えることも事実です。 これがもし外人さんなら簡単です。 家族を第一優先で取るからです。 家族あっての本人であり、本人あっての家族だからです。
一方、日本はそうではありません。 家族の中でも夫婦の中でも本人の中でも何が一番大事か、話し合ったこともなければ共有する機会すらまともにはないと思うのです。 あうんの呼吸で一緒にいれば分かるだろうとか、観れば分かるだろうといった抽象的ではあるが民族的に受け継がれてきた伝統的な共有観で相互理解してきたのではないでしょうか?
しかし、それは悠久とした時間や勤労環境の中では有効でも、激変する環境の中では役立たないように 思います。 急な転勤、急なリストラ、急な配置転換、・・・などなど。 つまり、日本人と言えども常日頃から家族と話し合い、家族としての喜びや価値を共有する時間やルールが必要となって来ているように思うのでます。 こう書くと我が家はそうなっているように思われるでしょうが、我が家はそこまでには至っていません。
もう日本でも家族全員がお互いに人生のパートナーです。 パートナーとして最小の価値集団として、それでいて確固たる基盤基軸として重要なのだと思います。 こんな理由から私個人は、コンセンサスを得ていない状況での見切り転職には反対です。 結果的に応援してくれることもあるでしょうが、それは結果論であり事前論ではありません。 自分の転職は家族の賛同が得られてこそ活きて来るのであり、家族が懸念している以上は強行すべきではないと思います。
信頼の最小単位は家族であり、幸せの最小単位も家族です。 家族の絆が最近おかしいのも今の日本です。 少しでも幸せを取り戻す為には、家族のルールや価値観の共有が必要なのだと思います。
転職は昔ほど珍しいことでもなく特定の人に起こることでもなくなりました。 それでも転職は慎重に、且つ何の為に転職するのかを明確に見極めて行動することが大事だと思います。 今の仕事が嫌だからとか、会社が嫌だからとの理由で転職する人もいますが、会社や仕事は入社してみないと詳細は分からない訳で、この意味においては転職リスクはいつも存在するのです。 転職するもよし、しないもよし、それは全て自分自身の生き方で決まることだと思うのです。 私は転職もいいでしょうが、天職を見つけられるともっといいと思います。 その天職はどこかにあるのではなく、自らが創り出すものだと私は思います。
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