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vol.132- 「”SEは「思う」という言葉を使うな”」

[システムエンジニアとして]

新人SEの頃、当時の技術統括部長さんから、SEは「思う」という言葉をできるだけ使ってはいけないと教えられました。「思う」と言った途端にあなたがたは”思考停止”するだろう・・・と。その当時は何を伝えたかったのか意味不明でした。

まだ深い”取引実績”がなくこれから信頼されるかどうかという途上の顧客に、「貴社に当社パッケージ(ソリューション=解決策)導入をご提案します。」(これは、自分たちが一番売りたいと思っている”サービス”)というような営業をしてはいけません。まずこの顧客の[問題・課題]・・・何に困っておられるのか、何かしたいことがあるけどできない原因・理由は何かを徹底して聞きとり共に考えること・・・も教えられました。なぜでしょうか。そこには、「こちらの思い」はあるが、「考え」が浅いはずです。





「思う」と「考える」は似た意味の言葉ですが、実は大きな違いがあります。例えば”料理の献立”なら「考える」が普通で「思う」とは言いませんが、それはなぜでしょうか。





図の重なっている部分はどちらを使ってもよいところ。「こうしようと思った」「こうしようと考えた」は重なりの領域でありで「思う」でも「考える」でも構いません。しかし、重なっていないところは”変更不可能な領域”で、この微妙な箇所を言葉の”ニュアンス”と言っています。言葉の”使い方”がいいとか言葉が”鋭く読めている”ということはこの重なりのない部分の”使い分け”にかかってきます。



[「思う」と「考える」の違いを考える]:

(1)「思い込む」とは、一つの「考え」を心にもったとき、それ一つを固く信じ他の「考え」を持てないこと・・・

(2)「考え込む」は”問題”に関わってあれこれとしきりに「考え」をめぐらして止まらないこと・・・

(3)「思いだす」とは一つの”記憶”を心の中によみがえらせること・・・

(4)「考え出す」はあれこれ工夫して新しい「考え」を生むこと・・・


下記の言葉は置き換えることができるか考えてみます。

(1)思い知らせる

(2)思いとどまる


この「思い」を「考え」に置き換えることはできません、なぜでしょうか。

(1)「思い知らせる」とは自分の心にある一つの”気持ち”・”恨み”とか悪い”感情”を相手に分からせることであり、長い間自分の心に抱いている”恨み”を相手に知らせることです。

そう言えば「いつか思い知らせてやるからな。」・・・とか「思い知れ・・・思い知ったか。」というのは・・・”復讐劇”の”ドラマ”によく登場する”セリフ”です。何か怖くないですか。何気なく使っている「思い」という言葉が”感情”・”激情”を伴うものだとすると・・・


(2)「思いとどまる」は自分の心の中にあって突っ走ろうとする”一つのこと”を抑えること。

つまり、「思い」とは心の中にある”一つのこと”をいいます。これに対して「考える」とは”あれかこれか”・”ああする”・”こうする”、といくつかの”材料”で比べたり組み立てたりすることです。


似た意味の言葉をこうして比較してみると”曖昧”だった”違い”が明らかになります。似ているがゆえに、どっちでもいいと思い込みがちです。しかし、どうしても変えられない事に関して、この二つの言葉が”お互いに譲れない意味”をもっていることが分かります。


つまり、「思う」とは、”一つのイメージ”が心の中にできあがっていて、”一つのこと”が変わらずにあることです。心の中の2つ・3つを比較して、”これかあれか”、”こうして、ああして”と選択し組み立てるのが「考える」という”分類”になります。何かを思っている時は、心に浮かんでいるものは”一つ”です。ああだ・こうだと考えている時は、”2つ以上”のことが浮かんでいます。


例えば女性が「彼のことを思う」は頭の中にたった一人だけ浮かんでいて(あの人こそが”運命の人”と決めていて)、「彼のことを考える」の場合は何名かの男性が浮かんでいて、どの人が一番自分にふさわしいか迷う・比較・思案している・・・そんな感覚です。


「思う」は心情的・主観的な行為、 「考える」は論理的・知的・分析的な行為とも言えます。


[「思う」が持つ「考える」とは違う際立った”特徴”とは]]

「思う」には下記のような”特徴”があります。

(1)刹那的(そのときどきの、持続性がない)判断であるか・・・

(2)感情的な没入であって、物事を論理的・分析的にとらえた行為ではない・・・


[「考える」が使えない例]:

再会できて嬉しく思います。(上記(1)、(2)を満たします)

この絵は実にすばらしいと思います。(これも上記(1)、(2)を満たします)

[「考える」「思う」ともに使える例]:

「新しい会社をつくろうと思う/考える」・・・

「思う」の場合は、一時的な”思いつき”とか、”願望”にすぎないこともありえます。

「考える」の場合は、そのための準備に十分な時間をかけて”情報収集”を行うなど、一時的ではない・・・感情ではなく筋が通った”論理”に基づく”知的行動”が含まれます。


[「思う」が使えない例]:

「どうして間違ったのかしばらくの間考えてごらん」(前述の(1)、(2)の状態ではできないことです)・・・

「会議の議題を数日かけて考える」 (やはり一時的なことでも、感情的なことでもありません)・・・


「思う」も「考える」も思考に関する動詞ですが、その思考の”ニュアンス”が異なります。大きな違いは、「思う」は「情緒的・一時的な思考」、「考える」は「論理的・継続的な思考」という”ニュアンス”をもっている点です。このこととも関連して、その思考を「自分の意志でコントロールできる度合い」は「思う」より「考える」の方が強くなります。





[思うが使われる場合] 情緒的・感情的な思考・・・

不満やうれしい気持ち等の感情には、「考える」ではなく「思う」が使われます。

(3)不満に思う。うれしく思う。

(4)不満に考える。うれしく考える。・・・これは何かおかしいです。

また、”故郷”や”母”への強い気持ち等、情緒的な思考をあらわす際にも「思う」が使われることが多いです。


[SEは「思う」という言葉を使うな]:

顧客に対して、「貴社は当社のパッケージを導入するしかないと思います。」というような、いきなりの提案はダメだと分かります。自分が顧客の立場だったら、そんなこと突然持ち出されると、二度と会いたくない気持ちになるでしょう。問題がはっきりしないのに”解決策”だけ提示されても”押し売り”にしか聞こえません。顧客が本当は何がしたいかを理解しないで、こちらが売りたいと思い込んでいる”解決策(ソリューション)”中心の発想だとまず間違いなく失敗します。


「お客様、現在何にお困りでしょうか。何をそんなに悩んでおられるのですか。どんな問題・課題をお持ちですか。本当は何をしたいのですか、どうありたいのですか、なりたい姿はどんなものですか・・・これらをまず徹底して共に「語り合い」・共に「気づき」・共に「考える」ところから”末永いおつきあい”がはじまります。この人は本気で真剣に私やウチの会社のことを考えてくれている・・・と納得がいくと、本音・本心を打ち明けてくれるでしょう。


「あなただから言いますけど、絶対内緒ですよ。実は当社にはこんな”内部事情”がありまして、そこを何とかしたいと前々から考えていました。」・・・というように。すると「ああ、そうだったのか、それじゃこのパッケージでは手に負えないな・・・新規開発のご提案を考えよう。」・・・そういう展開になっていきます。


自分たちが何を売りたいのかは”心の奥底”にしまい、いったん忘れましょう。「実は、”アレ”を売りたいんだけど・・・」ということを”前面”に出すと、顧客は去っていきます。自分だけでなく会社が”出入禁止”になるかもしれません。IBMさんの”モットー”がなぜ「Think(考えよ)」なのか、すごく納得がいく訳です。我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Cogito ergo sum、デカルト『方法序説』)という哲学は、実は自分のことしか考えていない・・・のかもしれません。




以上

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