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ある少女の話 第171号

10月のある晩、ラジオから聞こえてくる声を聞きながら、年甲斐もなく目頭が潤んでしまいました・・・ この話を私のコラムで取り上げていいか迷いましたが、余りにも心に沁みる話だったので素直に書こうと思います。 今の世の中はビジュアル時代で、スマホやSNSが発達して、とかく見た目が評価されますが、ラジオだけは今でも心で聞けるものだと思います。 今回はそんな感動する実話を紹介します・・・

東京の、とある有名フランス料理店の日本人シェフ本人がその番組で語っていました。 そのシェフは、日本でも有名な料理専門学校を首席で卒業し、フランスやイタリアの三ツ星レストランで修行し、いろいろな賞も受賞して、若干26歳で有名レストランのシェフにもなった一流の料理人です。 しかし、その頃のシェフは、店を訪れたお客から「箸はないですか?」とか「醤油を下さい」とか言われると「他の店に行ってくれませんか」と答えるような高慢で生意気な料理人だったそうです。

そんな時、お嬢ちゃんとそのご両親のある家族が、毎週土曜日にシェフのいる店へ来てくれるようになったそうです。 毎週、そんな高級なお店に来る位ですから、間違いなく超お金持ちの家だったそうです。 何度も店へ来るうちに親しくもなり、話もするようになり、そのお嬢ちゃんへ「何でうちへ毎週来るの?」とか、「もっといい店もあるのに・・・」とか聞いたことがあったそうです。 そしたら、そのお嬢ちゃんはこう答えたそうです。

「本当にお金持ち過ぎて、お母さんの料理も食べたことがないし、お手伝いさんか外食ばかりなの」 「だけど、一度だけ我がままを言って、お母さんに運動会のお弁当を作ってとお願いしたの。そしたら、お母さんは寝ずにお弁当を作ってくれたの。でも、そのお弁当は今まで食べた中で一番まずかったの。だから、それ以来、自分の我がままは言わないで、外食のままでいいと思ったの」・・・ (ちなみに運動会には、あの高級割烹の吉兆から弁当が届くような家だったそうです) また、「お子様ランチも食べたことがないの」とも言っていたそうです。

やがて、そのお嬢ちゃんのお父さんから、自分の娘が留学したいと言い始めたんだけど、一人娘だし行かないで欲しいとシェフから説得して欲しいと頼まれたそうなんです。 しかし、シェフ自身、若い時にフランスやイタリアで修行して、お金がなかったり、自分で思うようにならなかったりと、そんな事を経験して自分の成長につながったそうで、そんな気持ちもあって、お父さんへは本人が行きたいなら行かせた方がいい。お嬢ちゃんは世間知らずだから丁度いいのではないかと答えたそうです。

それから、いよいよ留学する前に、いつものように家族三人で食事へ来られたそうです。 そして、留学して行ったそうです・・・

しかし、その一週間後に、そのお嬢ちゃんはホームシックにかかって帰国してしまい、その話をお父さんから聞いたそうです それからも、行っては戻って来る・・・、そんなことを繰り返す様になって、これは何かおかしいなということで、お医さんに診て貰ったら、小児ガンにかかっていることが分かったそうです。 そこでお父さんは、アメリカに高名なお医者さんがいるので、その先生に治療して貰おうと、一家三人揃ってアメリカへ行くことにしたそうです。 そして、出発しました・・・

しかし、アメリカでそのお医者さんに診察して貰ったら、もう手の施しようもない状態で、このように言われたそうです。 「アメリカにいて、このまま死を迎えるよりも、日本へ帰ってその日を迎える方がいいのではないか?」と・・・

結局、ご両親はお嬢ちゃんと三人で帰国して、日本の病院へ入院させたそうです。 その頃にはお嬢ちゃんは、うすうす自分の病気や寿命について分かり始めていたようなのです。 お父さんは、娘が生きている間にしたいことをさせてあげたいと、お嬢ちゃんに聞いてみたら、幾つかの願いの中にシェフの店でお子様ランチを食べたいと答えたそうです。

ある日、お父さんが一人、シェフのところへやって来て泣きながらこの話をされたそうです。 勿論、そんな高級フランス料理店のメニューにお子様ランチなどありません。 シェフはそんな話を聞きながら厨房の中で泣き崩れたそうです・・・

店には個室が一つだけありましたが、既に予約が入っており、予約されたお客様に事情を話して空けて貰ったそうです。 そんな店のお客様が、お子様ランチには爪楊枝に旗が必要だと作ってくれたり、お子様ランチ用のプレートを家から持って来てくれたりして、皆がそのお嬢ちゃんの為に尽くしてくれたそうです。

当日、車椅子に乗ったお嬢ちゃんとご両親が来られ、治療で抜け落ちた髪の毛を隠すようにして、以前のお嬢ちゃんとは比較出来ないほど痩せて、まるで別人のようだったそうです・・・ お母さんから「折角作って頂いたお子様ランチですが、娘はもう殆ど食べられない状態なので・・・」と言われたそうです。 それでも、お嬢ちゃんは時間をかけて、シェフが作ってくれたお子様ランチを残さず全部食べてくれて、シェフはまた泣いてしまったそうです。 帰って行く時に「いつもでいいから、食べたい時にはいつでもおいで!」と言ったそうです。

・・・・・・・・

それから一ケ月ほど経った時、お父さんが店へ来られ、娘はあの後一週間後に亡くなりました・・・と。

そんな中でも自分でも命が尽きるのが分かっていたかのように、何通かの遺書を書き残していたそうです。 その中に、シェフへの封をした遺書があり、それをお父さんが持って来られたのです。 シェフが中を開けて読んでみると、次のようなことが書かれてあったそうです。

「私は、お父さんやお母さんのお陰で世界中の三つ星レストランへ連れて行って貰いました。どの店も美味しいところばかりでした。でも、あったかいと思った料理は、世界一まずかったお母さんのお弁当と、シェフが作ってくれたお子様ランチでした」 と・・・・ 読みながら、シェフは涙が止まらなかったそうです・・・

シェフの料理はその時から変わったそうです。 箸がなければ近所に買いに走り、いい材料があればお客様の要望を聞いて調理する・・・ 以前の自分では考えられなかった自分がそこにいるそうです。

冒頭でも書きましたが、この話は実話です。 そのシェフとは木下威征(きのした たけまさ)氏といい、東京のギャマングループ代表です。

いつか私も、必ず、必ず、そのあったかい料理を食べに行きたいと思います。 若くしてこの世を去ったそのお嬢ちゃんにも、そこで会えるような気がします。 私自身、そのお嬢ちゃんの何倍もの時間を生きて来ましたが、まだ何も出来ていないと思います。 私も一生をかけて、少しでも人様が喜んでくれることが出来るようになりたいと思います。


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