• 株式会社ビジョンクリエイト

ささやかなこと 第9号

世の中にはささやかなことを続けている人がいます。例えば、こんな光景を見かけます。 ●職場だけでなく近所まで、毎朝掃き掃除をしているガソリンスタンドの社長さん ●地下鉄の改札で殆ど誰も返事しないのに「おはようございます!」といつも言い続けている駅員さん ●電話に出たら必ず「ありがとうございます!」から始める某会社の社員さん ●訪問したら皆がこっちを向いて立ち上り「いらっしゃいませ!」と挨拶をする某旅行会社の社員さん ●食事の時に「頂きます!」と合掌してから食べる人 ●エレベータを降りる際に必ず1階のボタンを押して行く人 ●電車で席を譲ったら降りる際にお礼を丁寧に言われるお年寄りの人 ●券売機前で立ち往生しているお年寄りに切符の買い方を丁寧に教えている高校生 これとは逆に、こんな人も多いものです。 ●降りる人よりも我先に乗り込む中年のご婦人 ●平気で車から火のついたタバコを路上に捨てるドライバー ●自転車に乗りながらくわえタバコの若い女性 ●どこでも座り込んでいる体力がありそうな若い人 ●電車の中で平気な顔で携帯電話をかける人 ●駅前の道路一杯に自転車を置いて行く人 ●トイレから手を洗わないで出て行く若者や中年の人 ●レジの前に長い行列が出来ているのに観ているだけの大手スーパーの社員さん 今の世の中は心地よいことよりも、腹の立つことが多いのではないでしょうか・・・ このような中で、爽やかな気持ちで生き続けるのは難しくなっています。 大したことではなく、小さなことでもドンドン悪くなっています。 人が見ていなければいいだろう、誰かに何か言われる訳でもないから構わないだろう、自分一人がいいことをしても世の中や社会が変わる訳でもないからいいだろう、お金で済むのだからそんな面倒な話はいいじゃないか・・・ いつからかこんなにも人同士の関わりが薄く、味わいのない世の中になってしまいました。 元々、人間とはそんな程度なのでしょうか・・・ 最近読んだ本にこんな話が出ていました。 小学校3年のある男の子が、お父さんのやっていた製材所の仕事を見ていて、誤ってベルトに両腕を挟まれ腕の付け根から切断することになってしまいました。 両親はその子のことが不憫で不憫で、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思いでした・・・ その子も次第に家にこもりがちになってしまい、両親はどうしたらよいのだろうかと必死な思いで色々な人の話を聞くようになりました。 その子が中学1年になった時、京都に住んでいるある人の噂を聞き、両親と子供は訪れました。 そこで、その人から言われた話がその少年の心に強く残り、毎月そこに通うことになりました。 但し、その時に出された条件がありました。 それは「一人で通うこと」という条件でした。 その日もそうなのですが、その事故以来出掛ける時はご両親がいつも一緒だったのです。 しかし、少年は出された条件をクリアしないと通うことは許されないのです。 京都のその人の所までは片道2時間以上もかかる上、乗り換えが6回もあります。 一人で往復するには問題点が二つありました。 ・切符が自分では買えないこと ・途中でトイレに行きたくなった時のこと 健丈者である私には問題の大きさや苦悩が到底分からないのですが、少年は必死で考えました。 まず、切符のことですが、お母さんにお金をポケットに入れて貰い、切符売場で回りの人達に頼めば買えると考えました。 しかし、多くの人は腕のない自分を見て気味悪がって近付いてさえくれなかったそうです。 でも、中には親切な人もいて何とか買うことが出来たそうです。 問題は2つ目のことです。これは簡単に解決出来ない問題です。 皆さんも経験があると思いますが、電車の中でお腹が痛くなった時のあの冷や汗・・・ 情けない思いもしますが、本当に時間が永く感じられます・・・ 1秒でも早く次の駅に着いて欲しいと悲痛に気持ちになります・・・ しかし、その少年には両腕がないのです。 どう考えても見ず知らずの人とトイレまで一緒は無理な話です・・・ 私はここで解決策が見つかりませんでした。こんなこと避けられないと思いました。 その少年はどうしても京都へ通いたいので必死に考えて、とうとう解決策を見つけたのです。 答は簡単なことでした。(実行し続けるのは難しいのですが・・・) 京都へ行く前の日から絶飲絶食をすればいいと考えついたのです。 お腹の中に食べ物や水分があるから急にお腹が痛くなったりする訳で、お腹の中に何もなかったらそんなことにはならないのではないかと考えたのです。 私はこの話を読んで大変感動してしまいました・・・ この少年の一途で純粋な気持ちに打たれました。 親として子へ取り返しの出来ないことをした、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない深い悲しみ・・・ しかし、親がいなくなれば子供は、例え、両腕がなくても自分の力で生きて行かねばなりません。 私達はこんな時に可哀相にと同情が先になります。 しかし、同情では何一つ具体的に解決は出来ないと思います。 少年とご両親のその時の気持ちを察すると、同じ親として言葉に詰まってしまいます・・・ やがて、この少年は成長し足の指を使って絵を描くようになります。 しかし、後年、足で絵を描くことを禁じられ、口を使って描くことに挑戦し、やがてそれも見事に克服したそうです。本当に大したものだと思います。 私はこの話から人間の素晴らしい可能性や心の美しさを強く感じました。 やはり、人間は捨てたものじゃない、心は磨けば磨くほど光り輝くものだと思いました。 こんな過しにくい世の中ですが、冒頭にも書いた様な「ささやかなこと」を少しでも多くの人が自然とやれるようになれば、何かしら清々しい生気溢れる社会になって行くのではないでしょうか・・・ 他人のことではなく、まずは自分のことを見つめ直し、より良き人間になれる様、日々努力して生きて行くことが、たった一度しかない人生を素晴らしい輝くものにしてくれるのだと思うのです。 小さなことが出来ないのに大きな成果など残せる筈もありません。 素晴らしい成果を残した多くの人々は、素晴らしい人物であるとも聞きます。 その多くの人々は本当に腰が低い人達だとも聞きます。 腰が低いということは、謙虚で素直で感謝を忘れずやり続ける人ではないでしょうか。 大層なことではなく、実にささやかなことでも、それだけで充分に人間は磨かれて行くのだと思います。 皆さんも今から直ぐに、毎日何か一つで良いですのでやってみては如何でしょうか? きっと、必ず新たな自分を発見して行くのではないでしょうか・・・

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当初、今月は別のタイトルを考えていたのですが、たまたま観ていたYouーTubeで懐かしい歌手が歌っているのを観てしまい、自分の10代後半から20代始めを思い出してしまいました。その当時の友人や東京という大都会での生活や風景などが懐かしく思い出され、年を重ねた今になって懐かしい思い出となったその頃の話をさせて貰います。 私が若い頃は日本が高度成長期へ突進し始めており、経済成長と安保、ベトナム戦争と学