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チェジュ島 第204号

今まで20回以上も韓国へ行きましたが、それは本土ばかりでした。 特別市で首都でもあるソウル、学術や先端研究機関のあるテジョン、漁港と人情が大阪に似ていて活気溢れるプサン、韓国で太陽が一番早く昇るポハンです。 ちょっとだけなら、美人の産地であるテグもあります。 仕事で行くので、どうしてもソウルが一番多いのですが、ソウルは韓国の東京です。

先月、初めて、噂に聞いていたチェジュ島(日本名では済州島)へ行って来ました・・・ サミットみたいに韓国の取引先の皆さんと現地で合流して、一緒に過ごして来ました。 一言で印象を語れば、「良かったなあ~!」の一言です。 本当にいい所でした。

韓国本土とはまるで違います。 のんびりしていて、人情はいいわ、魚は新鮮で旨いわ、牧場の牛乳もおいしいし、自然も多くて、見所が多いです。 知らなかったのですが、日本で大ヒットしたチャングムのロケ地もありました。 民族村というところで、同じドラマの出演者達が一緒に撮影してありました。

さて、取引先というと日本では気を遣う印象がありますが、今回は仲の良い友達のような間柄の社長さんばかりで、とても和んだ楽しい時間を共有することが出来ました。 これも今回のチェジュの印象に加算されており、すごく良かったなあと感じた一因でもありました。 私は韓国語を単語位しか知らないのですが、言葉よりもむしろ気心というか、心が通じ合うようで、いい人ばかりなので、余り気にもなりません。 本当に、韓国の人達は相手の懐まで入っていくと、日本人よりも情があって、楽しくて、面倒見のいい人達が多いです。 やはり、日本人はかつて持っていた何かを結構、犠牲にしてここまでになった一面があると思います。 それなのに、日本ではテレビやネットや雑誌で、韓国へのバッシングばかりが目立っていて、嫌な気持ちになったりします。 これはとても残念なことです・・・

韓国からは多くの若者がLCCで日本へ来ていますが、逆に、韓国へ行ったこともない日本の多くの若者は、そんな手軽に手に入る情報だけで、安易に韓国をこんな国だと決め付けるのは、とても残念で、 怖いことでもあります。 韓国の若者は反日教育を受けてはいますが、日本を生で観て、聞かされていた日本の印象が違うことを知り、それからは何度も日本へ来ています。 しかし、日本の若者で何度も行ったり、向こうで普通の韓国人と触れあったりはしていないのではないでしょうか?・・・ 日本人はもっと韓国人と触れ合って、裸で付き合ってみるべきだと思います。

韓国の人達には、どこか昔の日本人のような律儀さや人付き合いの良さを感じます。 韓国と日本は、実は思っている以上に昔から文化や言葉でのつながりがありますし、単語の発音も似ているものも多いです。 皆さんも韓国へ行かれたら、そんなことがきっと分ります。

さて、チェジュ島へ向かう飛行機の中で、隣に座った韓国人女性が私に日本語で話しかけて来ました。 チェジュ島の南西にある西帰浦市の職員の方で、和歌山県の紀の川市と友好都市だそうで、ホームスティをしたチェジュ島の中学生を引率し、連れて帰るところだったそうです。 その方の話を聞いていて、こんな若い中学生の方が頭でっかちの大人よりも、余程、素直に韓国と日本の将来を良くしてくれると感動しました。

さて、その行ったことがなかったチェジュ島ですが、当社の韓国人社員が教えてくれたのですが、チェジュはこんな土地柄だそうです。 それは「チェジュに多いものが3つ」、「チェジュにないものが3つ」あるそうです。 皆さんは、一体、何だと思われますか?

答は、多いものが、「石、風、女性」で、無いものが「物乞い、泥棒、門」だそうで、その理由も聞きました。 なるほどと思いました。 石は火山島なので、昔の溶岩が流れた後に冷えた石が島中どこにでもあることです。 それを家の敷地の境目に塀の代わりに使っていました。 風については、チェジュ島のど真ん中にハルラ山(1950メートル)という、韓国で一番高い山があり、偏西風がその山に当たり、その影響で山の北側と南側で天候が違うそうで、一年中、風も強いのだそうです。 確かに、天気も急変しますね。

女性が多いのは島の周囲が海なので、昔から男性は漁へ出て、遭難することも多かったそうで、その事から女性が残されることが多かったと言われているようです。 しかし、食べ物に関しては、海や土地で育つものに恵まれ、海産物や魚やサザエなども豊富で、食べることには困らなかったようです。 泥棒については、島では家々が協力し合って暮らしていたこともあり、泥棒もいないということから言われたようです。 門については、家の周りに石垣を積んで境界にして、近所同士や泥棒もいなかったようなので、門すら要らなかったことから来ているようです。 興味深い話です。

食べ物が旨いからお酒も旨いのでしょうね・・・ よく日本人が一緒に飲んで、後でバタンキューという場面や話を耳にします。 決して、韓国の人と一緒になって爆弾酒(俗に言うお酒のちゃんぽん)を調子よく飲んではいけません。 飲みやすいですが、慣れていない日本人には後で効きますので。 翌朝、気分が悪かったり、頭が痛くなったりしますよー。 韓国に水割りなんてありません。ウイスキーでもロックかストレートで飲みます。 日本の若者が好む、カシスオレンジやハイボールなんかはありません。 チャミソルが王道で、二次会は安い飲み屋でビールとチャミソルのチャンポンを乾杯!と連呼しながら イッキ・・・ 最後はバーで、韓国製ウイスキーをストレートかロックで何度も何度も乾杯しながらカラオケするのが 普通のパターンです。 それも明日が仕事でも、夜中の2時、3時まで飲みながら歌って、踊って、帰りのタクシーで、ひたすら耐えてホテルへ帰る・・・・これが韓国での飲み会です。昔の日本の若者です・・・

話がずれましたね。 チェジュ島へ戻します。 興味のある方はチェジュ島について、ご自分でもネットで調べてみて下さい。 きっと行きたくなりますよ。 私は家族と一緒に行きたいなと思いました!

それから、実はチェジュには「三麗」いうチェジュ独特のものもあるようです。 三つの麗しいものとは何でしょうね?・・・ 「麗しい心、素晴らしい自然、美味しい果物」だそうです。 確かにそう思いました。成程でした!

島というイメージがあって、どんな所かな?と気にかけていたのですが、一度で気に入りました。 島は島なのですが、とても大きな島です。 調べたら淡路島の3倍ちょっとある島で、ラグビーボールを横にした形に似ています。 この島には66万人の人が住んでおり、以前は日本人観光客が多かったようですが、今は中国人が多いそうです。韓国本土からも観光客が多いです。

驚いたのは島の北端にチェジュ空港という国際空港があるのですが、地方空港くらいにしか想像していなかったのですが、2本の滑走路を持ち、年間で9万回以上の発着回数があり、これは大した便数で驚きました。 実際に空港近くのホテルから眺めていたのですが、朝は7時過ぎから結構、ひっきりなしに離着陸していました。便数が多いです。 日本からも中国からも、そして韓国本土から結構、観光客が押し寄せています。 韓国にはLCC航空が多いのですが、今回は関空から行きました。 生まれて初めて、「T’way」(ティーウェイ)という航空会社の便に乗りました。 飛行機好きの私は、どうしてもこの「T」の意味が知りたくて、CAさんに聞いてみたら、その返事にとても嬉しくなりました。 「Toghter」の略だそうです。ナイスネーミングです!

ただ一つだけ苦言もあります。空港内の入国管理に時間がかかり過ぎます。 京都のタクシーみたいに、黙っていても観光客が多いからか、対応は決して良くはありません。 チェジュも同じですね。 長蛇の列が出来ていても、特別、何もしない感じでした・・・ これだけ外国人が並んでいるのにです・・・

道路も綺麗で広くて良いし、何よりもチェジュ島はリゾートアイランドであり、スポーツに良し、健康にも良しです。 森林の中を裸足で歩く森林公園も良かったし、牧場で飲んだ牛乳も旨かったし、世界自然遺産の日が 出る場所とか書いてあった、昔は噴火口だった跡の山頂にも登りました。 また、近くの太刀魚の刺身も旨かったです!

私が気に行ったのは宿舎近くの小さな漁港みたいな所にあった地元の定食屋のような店です。 アワビやムール貝やアサリや葱が入っていた鍋みたいな朝飯は絶品でした。 特に印象に残りました。 ここには二日続けて食べに行きました・・・ そこの鯖の塩焼きも旨かった!  もう一度行きたいなあ~

勿論、仕事もしましたが・・・ チェジュ島、マンセー、マンセーでした。 関空から1時間10分ほどで済州島に着きます。 韓国のハワイと言われているのが分かりました。

今回は支離滅裂な話になりましたが、食べ物と景色と人情と時間が良かったです。 勿論、仕事もしましたが・・・ チェジュ島、マンセー、マンセーでした。 大阪からは関空から1時間10分ほどで着きます。 韓国のハワイと言われているのが分かりました・・・

最後になりましたが、チェジュの人達は人情があって、韓国本土とは違い、人がどこかのんびりしていて人がいいです。 大阪では生野区にチェジュ島出身の方が多いそうです。

では、カムサハムニダ!

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当初、今月は別のタイトルを考えていたのですが、たまたま観ていたYouーTubeで懐かしい歌手が歌っているのを観てしまい、自分の10代後半から20代始めを思い出してしまいました。その当時の友人や東京という大都会での生活や風景などが懐かしく思い出され、年を重ねた今になって懐かしい思い出となったその頃の話をさせて貰います。 私が若い頃は日本が高度成長期へ突進し始めており、経済成長と安保、ベトナム戦争と学