恐怖と感動 第299号
- 8月1日
- 読了時間: 14分
更新日:8月4日
今月は常識を超えた話を書いてみました。キッカケはオートバイです。私は中型以上のオートバイ免許は持っていませんが、最初にオートバイに乗ったのは高校時代です。見よう見まねで乗り方を教えて貰い、登り坂の道でいきなりアクセルを回し過ぎて、オートバイに乗ったまま上下が逆にひっくり返った経験があり、それ以来オートバイは自分には合わないなと思うようになりました。その分、悪友の後部席には学校を抜け出したり乗っていました。それからは大学に行ってから自動車への興味が大きくなり、現在に至っています。
車は特にフェラーリが好きになり、買える訳もないのに正規販売代理店へ資料を貰いに行ったこともありました。テレビではF1中継が始まり、いつもフェラーリを追いかけながら録画までやり続けていました。ホンダマシンでのアイルトン・セナの活躍は抜きん出ていてドライバーはセナのファンになり、マシンはフェラーリと妙な感じでした。セナが突然、事故で亡くなり、私はショックを受けてテレビでのF1観戦はそこで終わりました。亡くなっ時の録画したテープも廃棄しました・・
それから年月が経ち、スピードに対する興味も以前より減ってしまいました。しかし、最近、you-tubeで観た「マン島TTレース」というオートバイレースに久し振りに心を奪われてしまいました。死者が多いレースだという点もどうしてか気になり、動画に釘付けになってその場面も観ました。ほんの一瞬で事故が起こり、ドライバーが投げ出されるのです。私はスピード狂ではありませんが、命がけでレースに出ているライダーに対して何か特別なものを強く感じました。一般の市街地を走るレースであり、観客もすぐ真横で観戦している光景には従来の自動車やオートバイレースとは違う、特別な感動を憶えました。その動画を観ながら普段の私達が見失ったり捨てたりしていた何かが今も残っているレースだと強く感じました・・
今の社会は、効率とか、損得とか、安全とか、働き方改革とか、心の健康とか、偏屈な言い方をすれば生き方の緩い方向への考え方や生き方が一般化し、私のような人間には何か窮屈な社会へなりつつあるように感じていたのです。省エネ人生とか、人にやさしい生き方や接し方とか、人生百年時代とか、ゆとりある老後の生活とか、こんなキーワードが溢れていて私にはどこか性格的に合わない感じがあって、無心に命まで賭けて走っているそのレースを観ながら、そんなモヤモヤが吹き飛んでしまう程に生と死を併せ持った嘘のない極限の世界に感動と共感を覚えたのです。選手も観客も命がけのレースでした・・
平均時速は200㎞超、最高速は300㎞超,コース一周は60㎞余り、コーナーは200カ所以上、高低差は400mもあり、コースは普通の田舎町の一般公道を走るのです。特別な防護壁もなく、普段のありのままの道路を世界中から選手と観客が集まって来るのです。普通ならこんなレースは許可されないものです。興味本位ではなく、何か本物の命と命のやり取りを感じたのです。道路横で観ている観客の直ぐ真横を時速200㎞、300㎞のシートベルトもない生身のライダーが体を左右に傾けながらバランスを取り、一瞬のミスも起さないように走り抜けて行くのです。
過去にはこんな事故もあったそうです。それは行動にどこから迷い込んで来た道路を横切ろうとしたウサギを避けようとライダーが亡くなったのです。ありのままの日常に、生と死へ直面するライダー達なのです。道路には当たり前に起伏があり、オートバイは勝手にジャンプして走り去ります。民家が建っているのでタイトなコースでは民家の壁に激突したライダーさえいます。今ではあり得ない常識外のレースなのです。兄弟で亡くなったライダー、サイドカーで亡くなったペアの二人、何回も骨折しては手術や入院後にレースに出場する女性ライダー、事故ればコース外に即、跳ね飛ばされるライダー達なのです。観客のすぐ横を走り抜けるオートバイとライダーの迫力は一般のレースとは全く違います。オートバイなのにサウンドはF1のようなエギゾースト音なのです。
会場と言うべきか、単なる田舎町そのものと言うべきか、ここには世界中から個人やメーカーに属するライダーがエントリーして来ます。個人参加のライダーはお金もマシン調整も自分達でやります。生活の全てがレースへ向けて集まって来ているのです。何回も参加し続ける選手も大勢います。危険が身近かなのにどうしてそれほど参加したい魅力があるのでしょうか?・・ライダーも観客もそこへ惹きつけられる魅力は、本物の危険との隣り合わせのレースだからです。安全柵もなく田舎道のすぐ横をオートバイが凄いスピードですぐ横で観ている観客に擦れそうな真横を走り抜けるのです。マン島は島ですがイギリス本土のレース基準が適用されない特別な場所でもあるのです。これこそ並外れたレースだと驚嘆します。
―マン島TTレース概要ー
開催地はイギリス本島とアイルランドの間にある小さな島
レース名 マン島TTレース TTはツーリスト・トロフィの略
別名 世界で最も危険なオートバイレース
開始年 1907年
種別 排気量、サイドカー有無で幾つかのカテゴリーあり
排気量 カテゴリー別制。例として600cc、1000ccなどあり
死者数 累計271名 開始以来のレーサー+観客の総数
参加レーサー数 不明 参加希望者は後を絶たないそうです。当然、資格ライセンスと審査あり
コース マン島の一般公道を周回する
一周の距離 60㎞余り
周回数 6周、4周など競技で異なり天候でも変更になる
最高速度 300㎞超
平均速度 200㎞/h 秒速で55mに相当
一周の所要時間 優勝者は20分弱
コーナー数 一周あたり200カ所以上 ライダーは全て記憶する
優勝賞金 最近の円換算で最高額500万円余り。
スタート方式 台数にもよるが10秒とか30秒毎に各車スタート
優勝者 タイムトライル 最小走行時間者が優勝
観客との距離 狭い所では手が届く距離
日本人選手 何名もいます。亡くなった方が3名もいます
ー常識論ー
スタート地点の近くにはレースで亡くなった方々の墓碑があります。こんな危険なレースなのに何故、中止にならないのでしょうか?どうして参加するライダーも観客も多いのでしょうか?・・それも何回も骨折してでも手術して出場するのです。このレースには何か特別な魅力があります。
危険なレースにも拘わらずに尚更、言葉にはならない強い魅力があります。賞金目当てではありません。名誉を手にれる為に命を賭けているとしか思えません。毎年6月に開催されるこのレースへ世界中から選手も観客も大勢が集まる理由は何でしょうか?もう100年以上の歴史があるのです。
動画を観ていると事故の直前まで生きていた選手が突然、クラッシュして空中へ投げ飛ばされ、道路横の荒れ地へ飛ばされながら、バイクもバラバラになりながら落ちていくシーンがあったり、道端に放り出されて微動だにしない選手や、壊れて散らばっているオートバイの無残な残骸や火の手、係員が赤旗が振りながら駆け寄る様子、救護班の懸命な対応、そんな映像があります。それでもこのレースは今も続いているのです。生と死を直視するレースです。先ほどまで普通に生きていた選手達です。
このレースに何故、観客やファンは惹きつけられるのでしょうか?・・
選手はこう言っているそうです。
「走っている時に生きていることを強く感じる」と。
私にも今の社会は自由でルールさえ守っていれば普通の生活や好きなことも出来ます。今の社会が嫌ということではありませんが、どこか生き苦しいと思える時やそういう部分があります。常識やルールや礼儀や住み易さや働きやすさから離れたい時もあり、不満ではないけれど満ち足りてはいない自分をこの映像を観ながら感じるのです。良い意味での緊張感や達成感、目標観が今の社会にはありません。
モヤモヤしている毎日だと感じる時もあります。幸せではあるでしょうが、どこか満ち足りていない自分がいるのです。思い切りトコトン生きていない自分を感じるのです。
ーどこがいいのかマン島レース-
今の社会は危険や貧困が大なり小なりあり、安全が最優先、効率や品質が重要な社会基準です。
一方、このレースには自分の命を懸けるという選択肢しかありません。レースに必要なのは人間の持つ生きていたいけれど、トコトン限界までやり抜きたいという挑戦本能があるように感じます。生と死がむき出しのレースです。極限へ自分一人で挑戦するです。シートベルトもありません。レース服を着て、ブーツを履いて、ヘルメットを被り、生身の体をさらけ出し、曲がりくねった一般道を危険なスピードでギリギリまで挑戦するのです。瞬間、瞬間が命とのやり取りです。スタート前の選手は極度の緊張状態だと思います。そこまで辿り着くまでの苦労と練習、今から完走するぞという自分への震える程の鼓舞しかないと思います。走り出せば考える余裕はありません。見えるのはゴールしかありません。
マン島レースで亡くなったイギリスのライダーが語っていた動画がありましたが、オートバイに乗っている時の目線は走っているコーナーではなく、もっと先のコーナーを見据えているそうです。平均速度200㎞なら一秒あたり55mは進みます。目先を見ていてはコースを走れません。練習で身に着けるのでしょうが、その胆力が物凄いです。怖いと感じると走ることは出来ません。選手達は走っている時にこそ”生きている”と実感することはそういう事なのでしょう。
「生死の境目で生を実感する」とは極限状態でしょうが、この感覚は死が怖いのではなく、例えれば妙な話ですが地球を初めてみた宇宙飛行士は真っ暗な宇宙の中に地球だけが青く美しく浮かんでいる光景を見て、それまで地球上で感じていた人生観がガラッと変わるそうです。極限の世界なのでしょうが、余人には分からない感覚です。頭では理解出来ても実際に経験しないと理解できません。次元が全く違う話だと思います。却って何が一番大事かを悟るのだろうと思います。
マン島レースでも選手達は何回でもチャレンジしたくなるそうです。それほどもの凄い経験なのだろうと思います。画面から感じ取ることは難しいですが、余人には分からない別次元で走っているのだと言えます。
―本田宗一郎の挑戦ー
以前、本コラムでホンダがマン島レースに出場する話を紹介したことがありますが、50ccオートバイの「スーパーカブ」が国内で大ヒットし、知名度も上がり経営も上向きになり、本田宗一郎は新たな次なる目標を考えていた頃の話だと思います。
社内から「マン島レース」へ出場したらどうですか?との提案が持ち上がり、詳しい内容など知らない、見たこともないレース、ヨーロッパの主要メーカーが出ていると聞いでしょうが、宗一郎(以後、こう書きます)は詳しい内容を知らないまま、そのレースに出場すると先に決めたのです。
こんな話は如何にも昭和的で行け行けどんどん的で、怖いもの知らずの宗一郎その人の性格でもあると思いますが、私は大好きです。今なら誰も賛成しないだろうと思います。
私はこういう特質こそ企業が他社よりも大きく成長していく為に必要な精神だろうと思っています。
同業他社よりもどこにも負けない優れた製品開発こそ企業を大きく成長させる本質だと思います。
勿論、失敗して屋台骨が倒れるかも知れません。しかし、時代の変化がそこにあれば必ずそいう企業は大きく成長します。そんな考え方が今の世の中には余り見られません。どんな企業でも同じことです。飛躍する為には秀でた製品やサービスの実現が不可避です。仮に、他社の成功事例を真似てもNo2以下になれてもNo1にはなれないのです。こんな事例は世の中に幾らでもあります。苦労せずに楽しく、それでいて唯一無二な飛躍などあり得ないと私は考えています。
さて、ホンダの話ですが、ここからが流石に凄いです。出場すると言ってみたもののレースについては具体的に知らなった宗一郎は、知るにつれ無茶苦茶に挑戦魂が湧くのです。単なる憧れから具体的目標に点火していくのです。
まず、マン島レースの中身を聞いて驚きます。大排気量のヨーロッパのオートバイメーカーが多く参戦していたのです。エンジン排気量が50ccなどではありません。何百CCのエンジンなのです。日本以外に知名度もないホンダだったのです。真似して作っても面白くもありません。
宗一郎が当初に考えたのは、小排気量でもエンジン回転数を倍とか3倍に上げればエンジン出力は同じになるという発想でした。理論上は間違いありませんが、宗一郎は大学の教授へ相談に行きます。
そこで教授から言われたのは、理論的には可能でも現代の材料でそんな回転数に耐えられる材料自体が存在しませんと言われたのです。それでも諦めきれない宗一郎は執拗に材料からの勉強を始めるのです。私はこの話を知って、解決への発想が凄いし、材料がなければ自分が作り出せばいいという発想が素晴らしいと思いました。そこから宗一郎はエンジンの開発へ没頭して行くのです。昼夜を忘れて打ち込むのです。こういう点はF1エジソンと同じです。試作品を作っては試し、壊して作り直し、何度も何度も挑戦するのです。この考えはホンダの精神であり、強さであると思います。ホンダジェットでもその精神が生きていたのです。
車では有名なマスキー法という、アメリカが国外メーカーへの牽制球である排気ガス規制条件を高くしてどこも成し遂げられなかった技術課題をホンダは世界で最初にクリアーしたのです。
CVCCエンジンです。あの時も不可能とか言われていた障壁を果敢に挑戦し乗り越えたです。ここからホンダのアメリカ市場での躍進も始まったと私は思っています。
さて、このように世界に類のないような製品を生み出す力を日本人は民族的に持っていると思います。但し、それは原理原則からではありません。既存技術があっての条件です。日本人特有の人と人の関係や付き合い方、共同作業、改善力、手先の器用さなどを活かして実現していると考えます。足りないのは基礎技術や発想力です。ここは個性が優遇されないと実現は今後も厳しいだろうと思います。特許の数ではなく基礎研究力です。
ただ、無から有を生み出す能力開発はこれらの特性とは異なり、発明するにはまだまだ難があると思いっています。楽に働くことと何かに集中することは異なる性質です。働くことは良い事です。時間を短くするだけでは決して成果が上がるとは私は思いません。素晴らしいアイデアは直ぐには生産や利益にはは結びつきません。アイデアだけでは評価されないのが日本の企業社会です。私は今、一般化している働き方では日本の将来はなかなか厳しいだろうなと思います。個性が出ない、発想が似たり寄ったり、生まれて来ないと思うのです。こういったものは自由に考え、自由に働ける環境があってこその結果だろうと思います。集団的ルールからなかなか生まれにくいのです。まだまだ日本はここまで来てはいません。
その一つの例が今回取り上げた「マン島TTレース」です。さすがに基礎研究が優れているイギリスだと感じ入りました。日本でも規制のない自由な行動や結果も必要です。社会にそういった感性がなければ多数派に押され、自己主張のないものしか残れません。こんな周囲からの声を頑なに採用していない姿だからこそ大きな感動や驚きがあるのです。こういった頑な個性は種をまずは撒かないことには育ちません。そういった頑固親父的な大人が減って、もの分かりのいい大人が増えすぎたと私は思います。
頑固爺がいてこそ何か他と違った価値も生まれる可能性があると私は思っています。
ーホンダのマン島レース成果ー
ホンダのマン島レースに出場しての成果です。
参戦決意 1954年 マン島レースに出て世界一になると公言
初参戦 1959年 125ccで参戦 6位入賞
初優勝 1961年 125ccと250ccでの優勝
この経過は凄い。参加したこともないのにこれだけの短い期間に成果を挙げたのには驚きます。
F1レースではエンジンメーカーは前面に出ますが、マン島レースではドライバーが中心です。
事故に遭って命を落とドライバーが多いレースです。レース動画を観ればその凄さが分かります。
選手と観客の距離も近過ぎて日本では絶対に開催出来ないです。
危険なレースであることは一目瞭然ですが、それを実際にやっている事が稀有です。
―レースが訴える恐怖と感動ー
マン島TTレースの動画を添付します。you-tubeから参照します。これ以外にも多々あるので探してみて下さい。個人参加のライダーが多く、資金作りからマシン調整から自分ですべてをやります。
妙な話ですが、生と死が隣合わせのレースです。ライダーは生きている実感を強く感じるレースです。私達にはそんな光景はまずありません。
マン島TTレースはF1ほど華やかではないし、賞金だって多くありません。
危険性はF1よりも高いし、コースには防護壁やクッションもありません。
コースから外れたらそこは普通の家や林や石垣や崖などがあります。
観客さえ巻き添えにする可能性の高いレースです。
私はこのような常識外れの動画を観ていると何か強く訴えるものを感じます。
満ち足りていると何か足りないものがやたらと気になります。
それが何かが分からない場合も多いのです。
その逆はよく分かります。
一瞬でその人の人生や人生観が変わるのがこのレースだと思います。
私の生涯リストに「マン島TTレース見学」が追加されました・・
怖いけれど、この目で確かめてみたいものです。
感謝
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