昨年11月末に2か所の興味ある施設を散策して来ました。 それは「司馬遼太郎記念館」と「アサヒビール山崎美術館」です。
一見、何の関係もないと思われる両者の施設に2つの共通点がありました。 それが分って、ビックリするやら感激するやらでした・・・ その共通点とは ●建物の設計者がコンクリートの打ちっぱなし工法で有名な安藤忠雄だった。 ●施設にエネルギーが溢れていた の2つでした。
司馬遼太郎記念館は近鉄奈良線の八戸ノ里駅南側にあり、閑静な住宅地の中にあります。 居宅と別棟の記念館からなり、居宅には故人が執筆で愛用していた書斎が当時のままの状態で残されてきました。 愛用の万年筆やメガネや机や鉛筆、そして執筆の合間に一息ついたでろう人工的な手が入っていない木々が多い広い庭がありました。 記念館は居宅と同じように白を基調にした背の高い建物で、中に入ると司馬氏の蔵書がズラリと高い天井まで収納してありました。 蔵書は何万冊とか言っていましたが、相当な数であることは誰にでもすぐにわかります。 この施設が作られる前は居宅や倉庫?に置いてあったのでしょう・・・ もしそうでなければ、相当凄い環境であったに違いないと思います。
司馬氏は随筆も書けば、時代小説も書き、現代物も紀行文も書いた実に多才な作家でした。こんな作家はもう なかなか出てこない気がします。 好奇心なのでしょうか、物を書くのが好きだったからでしょうか、兎に角、膨大なエネルギーの塊みたいな人だったと思います。 表面的にはそう見えないかも知れませんが、あれだけの作品を残すのですから、それは並大抵のエネルギーがあったに違いないのです。
執筆をした原稿なども展示されていましたが、その中に「21世紀を生きる君たちへ」とういう随書があり、このタイトルに?と興味を持ちました。 その冒頭にこんな文章のことが書かれていました。 「自分は歴史に接しているので、縄文時代から現代まで何千年もいきているようなものだ。普通ならばたった数十年の人生なのに、時代のあちこちに知己や友人がおり、有難い天職のような気持ちになる。これは私に与えられた使命ではないか」と。(あくまで私個人の感じた文章です)
この文章を目にした時、言いがたい大きな感動を覚えました。 この随筆の中で、「私は21世紀を見ることは恐らくできない。しかし、皆さんは21世紀を目にする事が出来るでしょうから、今からの話を何かの参考にして貰えれば嬉しく思います。」みたいな文章で、色々なことが書かれてありました。 その中に大阪の適塾を開いた緒方洪庵のことが書かれていました・・・ 私はこのことがキッカケになり、後日、緒方洪庵に関する本を買い、適塾跡まで訪れてしまうことになりました。(適塾のこともいつか書こうと思っています。)
それからアサヒビール山崎美術館ですが、こちらも大変に感動しました。 私事で恐縮ですが、私は絵が好きで、たまに美術館巡りをしたりします。 特に、印象派のモネが好きで、あの何とも言えない水面のキラキラした光やその照り返しや、一瞬の影やその捉え方や大胆な描写にとても魅かれています。 モネは日本の浮世絵に大いに興味を持ち、自分の絵にそれらの表現方法や考え方を取り入れた西洋画家でした。 住居のある敷地内には日本風の池や橋や灯篭などを置き画材にした人でした。
特に睡蓮の絵は、たった一度しか行ったことがないニューヨークでも近代美術館に出かけ本物の絵を見たほど好きです。 写真集でしか見たことのない本物の絵を前にして、直立不動で15分間、涙が出て来そうな程、嬉しくて、嬉しくて眺めていたことがある位です。
山崎の美術館にはモネの絵として、「日本の橋」と題された小さな絵が展示されていました。紛れもなくあの独自な描写のモネの絵でした・・・ 溢れるばかりのエネルギーです! 勢いのある筆のタッチ、ほとばしる光と汗、感じた色やイメージ、瞬間、何もかもエネルギーそのものです。 年老いても、体中から出てくるその強大なエネルギーは、一体どこから来るのでしょうか? いやあ、感動しました・・・良かった・・・ またまた、モネのエネルギーに圧倒されました。 私はモネの絵から、途方もないエネルギーを感じるのです。
さて、安藤忠夫氏ですが、素人の私には何にも言えないのですが、ただ直感として横より縦の使い方が好きな方ではないかと思います。 感じただけなので、何の論理的な根拠もありません。本当にそう感じただけなのです。 さらに不思議な事に、この2カ所の施設と安藤氏の設計と何か共通点があるのではないかと思いました。 私流に言えば、それはエネルギーが存在しているということです。
是非、二つの施設の一つでも結構ですので、出かけられてみては如何でしょうか? 先人達の残したエネルギーをビンビン感じられると思います。
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