独立不羈 第289号
- 社長

- 10月1日
- 読了時間: 11分
更新日:11月10日
いきなりですが、「独立不羈」という四字熟語をご存じでしょうか?・・・
「どくりつふき」と読みます。意味は「人に頼らない」、「独立独歩」といった意味合いの熟
語です。私も最近まで知りませんでした・・・
そもそも「熟」+「語」自体の漢字ですが十分に熟した語という意味で、熟語として認めら
れたのは使われてから後だろうと思います。不羈は中国の古典から来ており、意味は日本人
に馴染みの少ない生き方を表わす熟語です。日本では協調、和、思いやり、謙譲のように自
分よりも周囲への配慮が優先されるような国民性ですが、今は少し違和感のある時代になり
つつあるかも知れません。
不羈は難しい漢字ですが、「羈」という漢字は分解すると「目」、「革」、「馬」の字に分解され
ます。これだけで何か思い当たる方は漢字を良く知っている方です。分解した字の通り、馬の
顔部分に革製の紐を掛けると、この羈という漢字になります。その漢字の前に不が付くので否
定となり、そうではない状態を表わす意味になります。
人が馬に乗る際には馬の顔部に紐状の馬具を付けて、その紐を動かせば馬を左右に向けたり、
引っ張れば止まることが出来、下馬後にはその辺りの止め木に繋ぐことも出来ます。しかし、
「不」が頭に付くので、コントロール出来ないという意味になります。馬で言えば人の指示に
従わない野生馬みたいな状態でしょうか?・・・人間なら慣らされても、自分の意志と見識に
自分なりのやり方で物事を進める人もいますが、不羈はそういった感じよりも強い意志が働く
と思います。
例えば、私の育った時代は昭和の真っただ中です。何にでも競争があり、学業の競争も、家で
の食事でも、校庭の遊び場でも、何でもそうだったと思います。何せ、クラスに5名上もいて、
小学校での全校生徒数が3千人を超えていたのですから?・・・今は信じられない生徒数だと
思います。だからこそ、独立不羈は結構、周囲との軋轢や生き方に違和感を持つ人も多いかも
知れません。全てに規則があった時代ですから。
今回はそんな人生を生きた人物について語ってみたいと思います。
少し話が逸れますが、江戸時代末期に大阪の淀屋橋で蘭学塾の適塾で学んだ福沢諭吉もこの熟
語を好んでいたそうです。学問というものは、何でも自由に活発にやるべしといった考えだっ
たそうです。確かに、福沢諭吉は適塾でトップの成績を修め、塾生達のトップである塾頭にま
でになった人物です。
後年になってその頃を思い出すと、生涯の中であれほど一心不乱に勉強したことは生涯になか
ったと語っていたそうです。勉強し過ぎて、起きているのか寝ているのかも分からない程、頑
張ったそうです。当然、塾頭になれば、後輩の塾生に対して講義をしたりもしたそうです。
「学問のすすめ」は彼の著作です。凄い人物だと思います。
さて、私がこの独立不羈の熟語を知ったのは、実は関西の実業家として大成功した小林一三の
資料からです。それまで小林一三の詳細も知らずにいただけでなく、ましてや「羈」という漢
字すら知らなかったのです。
小林一三と言えば、関西では飛び抜けた実業人です。阪急グループの創業者で、正に独立不羈
に生きた人生だったことも知りました・・・元々は銀行に勤めていた方ですが、縁あって実業
界へ転じて一代で今日の隆盛を創り上げた立志伝中の実業家です。
私は漠然とは知っていたのですが、どちらかと言えば製造業の創業者へ目が向いていたので、
詳細は今迄、知らないままで過ごして来ました。製造業であれば関西には松下幸之助氏、稲盛
和夫氏を筆頭に多くの創業者がいます。
特に、同郷の稲森氏には傾注していたので子供時代の話や情景にも私の子供時代を思い出すよ
うな場面がありました。時代を超えて共有する故郷があるのも不思議な感覚なのです。
そんな中で、かつてお世話になっていた伊吹卓先生という方を、ひょんな時に思い出し、先生
は小林一三に関する書籍を一冊だけ生涯の書として持っている話を思い出して、その人はどん
ない凄い人なんだろうか「小林一三」というキーワードで調べていったのです。
伊吹卓先生のことも紹介しておきますと、先生は100冊以上もの本を執筆・出版されており、
元々は大手広告会社に勤めていた方です。先生はその頃、出張で渡米され、世界的に有名なイ
ンダストリア・デザイナーのレイモンド・ローウィに会った際に思ってもいなかった質問をさ
れたそうなのです。
「君の広告で売れるのか?」と・・・
先生はいいデザインだねとか、もっとこうしたらいいよとか、そういう事を言われると思って
いたら、唐突に売れるのか?と考えてもいなかった質問を投げかけられ、大きなショックを受
けたそうです。そこから、先生の目標は変わったと思います・・・
やがて、働いていた大手広告会社を辞め、商売科学研究所という「どうすれば売れる商品を生
み出せるか」という看板を掲げて、多くの企業へアドバイスや指導を行ったり、本を書いたり
していた訳です。
私は人に紹介されて先生の所へ出入りするようになり、各業界の経営者の話を聞く機会も得ま
した。更に、先生から商売道「準四段」という認定証まで頂戴しました・・・門禅の小僧です。
先生はヒット商品を作るには「苦情法」、「着眼法」の二つを重視されています。
当時はよく分かりませんでしたが、今はその通りだなと共感しています。
ある時、私は先生からこんな質問をされました。
「今までに会社が潰れる寸前までになったことはないの?」と・・・
私は「まだありません」と答えたら、先生は「惜しいねえ、もうちょっとだけどねえ」と意味
不明の言葉を投げかけられたのです。今なら、何か、少し分かるような気がします。
分かり易く言えば、貧して追い詰められたら、何が大事かがはっきり分かるということです。
こんな先生が尊敬している人物が小林一三氏です。阪急電鉄や阪急百貨店、宝塚歌劇団の話な
どは知っていましたが、それ以上の話は殆ど知りませんでした。
調べている内に興味を感じる話がいろいろと出て来たのです。
鉄道事業では箕面有馬鉄道という今で言うなら都心から離れた田舎へ鉄道事業を起こし、いろ
いろな苦難の中を持ち前の独立不羈の精神で乗り越えていくのです。乗降客が少ない遠方地域
を変えて行くのです。
当初はそんな地域に鉄道を引くのだろうかと思いましたが、そこからが凄いと思いました。
不羈の精神そのものです。徐々に変えていくのです。不利を有利へと変えて行くのです。
普通の経営者ならそんな状況からはなかなか具体的な変革は起こせないと思います。 私が言えば嘘に思われるでしょうが、メリットを集中して考える経営者だと思います。
デメリットを変えようとは考えないで持っているメリットを集中して考える訳です。その結果、
デメリットがメリットへ変わるのです。小林一三はここからが凄いと思いました。
乗降客を増やすにはどうすればいいか?を考えたのです。このままでは鉄道事業は乗降客で伸
び悩み、やがて赤字になり、最後は潰れるかも知れません。果たしてその門題解決策があるの
か?ということです。それを解決して行くのです。
メリットは都心から離れた遠方地です。土地は安いし、幾らでもあるといった感覚だったと思
います。広くて安い土地に目を付けて、土地を買い、宅地にして、一戸建住宅を建て、都心部
に住む人達へ販売したのです。しかし、当初は売れないのです・・・販売価格が高いからです。
そこで売り方を変えたのです。一括販売を止め、分割払いに変えたのです。その結果、一戸建
ては売れるようになったのです。
この方法は今や電鉄では当たり前ですが、当時、こんな大胆なことを実現したのは小林一三だ
けだったのです。世の中にない売り方をやった訳です。前例のないアイデアが当たった訳です。
小林一三とはこういう人なのです。梅田に百貨店を建てた際にも、上層階に食堂を作ったのも
当時の常識外でした。景色のよく見える高い場所に食堂を作るのは常識外れだったのです。
更に目玉メニューとしてライスカレーを出したこともそうです。これも大当たりでした。
また、昭和恐慌が日本を襲った際に、ライスだけ頼んでソースを掛けて福神漬も沢山食べる客
があちこちの百貨店で目立ち始め、儲けは減るわ、福神漬は早くなくわで、他の百貨店では張
り紙を出してソーライス(ソースを掛けたライス)のお客はお断り!とやった訳です。
まあそれが当たり前の対応です。儲からなくなったからです。
しかし、この話を聞いた小林一三は早速に新聞広告を出し、ライスだけのお客様も大歓迎!と
やった訳です。すると、ライスだけのお客がどんどん阪急には増えてしまう結果となりました。
小林一三は採算を気にせずに周囲にこう言ったそうです。「ソーライスを食べに来た人達が家庭
を持って、やがて子供も連れて来てくれたら、それでいいじゃないか」と・・・
やがてその事も当たったのです。
これらの話には小林一三という実業家は合理的な計算があって、その上に情けも掛け算である
ように思ってしまいます。私はここが他の実業家と異なる点ではないかと思うのです。後の事
を考えての決断だったと思うのです。元々が銀行マンだったので算段は根底にあった筈です。
情けはその算段があってこその結果だと思っています。情けで商売を続けたら倒産します。
このような話にはどことなく、松下幸之助氏の着眼点と近いものを感じます・・・
松下幸之助氏は人材育成に特に長けた経営者だと私は永年に亘り尊敬しています。
特に、事例を挙げて話し、諭すことについては、誰でも分かる事例で話すので、言われた人は
自らを振り返ると思うのです。
例えば、倉庫管理責任者への魚屋への出向く話とか、自動車会社からの電装品の値下げ要請へ
の検討結果への同調しておきならがらもっと下げられるやろ?の話とか、雑誌社の対談に関す
る対談者情報の不足への悟らせ方とか、こういった話に答を教えるのではなく、答を本人に悟
らせる話をするのです。
こんな指導は真似しようとしても出来るものではありません。自社事業に精通しているとかで
はなく、世間や世の中に精通しているから出来る訳です。真似出来ることではないのです。
それだけずーと世の中をよく観ているといるから出来る話なのです。
その結果、幸之助氏が言いたかったことをその本人自身が悟る訳です。こうやって人は育って
いくのかなあと思います。時間がかかります。分かると出来るは違います。
分かる人と出来る人はやはりどこかが違うと思います。幸之助氏の教育は教えるのではなく、
本人に悟らせる指導です。この点に尽きると私は考えています。しかし、凡人にはその事例が
少な過ぎます。これは経験だとも思います。場数が違うのです。しかし、幸之助氏の場合は、
次々に人材が育って行き、事業も拡大成長していく訳なのです。
今回の主人公である小林一三氏もこういった数少ない創業者と同じく、日常に対する鋭い観察
眼がある人だと私は感じます。問題が起こった際の解決目線が違うのです。自分ではなく、お客へ向いてい
るからです。これは簡単に出来そうで、なかなか実際には出来ないことです。
日頃からそういう行動や視点が伴っていなければ、一朝一夕に出来るものとは思えません。
簡単に言えば他人目線、顧客目線なのです。
小林一三という有名な実業家なのですが、紹介されてあった資料や言動から考えると、言動の
変わった人かなあと思っていましたが、資料をよく読んでいると、やはり多くの人とは違った
洞察力や見識力を感じました。
運が良かっただけとか、時勢が良かっただけで成功する経営者はいますが、それを続けられる
経営者はそうはいないと思います。特に代が変わればそうなり易いものです。それでも仕組み
や組織がそうなると結構永持ちはするでしょうが、いつかそうなくなる時が来ると思います。
これは永い歴史が証明しています。
社会は常に変化を続けていますので、やがて衰退する時もあるかと思います。
松下幸之助氏もそうですが、こういった偉人達は世の中の小さなありふれた光景を良く観察し
ていると感じます。大きな発見ではないしょうが、気付きとは細かい観察から生まれます。
これが一番大事な気付きです。
何故、これはそうなっているんだろう?と思うのは、習慣から起こることです。
そして小さな気付きはやがて大きな気付きになっていきます。気づきの連鎖です。
小さなせせらぎが小さな流れになり、やがて流れが川になり、川同士が次は合流し、大河にな
り、やがて大海へ繋がって行きます。日常をよく観察することはこういう事なんだろうと最近、
思うことが多いです。単発ではなく連鎖で考えようになると当初は単なる思い付きだったもの
が本当の変化と言える規模へ変化していくのだろうと思います。
正に小林一三という実業家はそういう人ではなかっただろうかと思います。
果たして自分自身はその足元にも及ばないことは明白です・・・

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