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日本刀 第285号

  • 執筆者の写真: 社長
    社長
  • 1 日前
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更新日:12 分前

皆さんはわが国が海外へ誇れる様々な文化の中で、日本刀一例だということをご存知でしょうか?  日本刀は相反する二つの特徴を併せ持つ、比類なき武具であり、且つ美術品でもあるのです。

相反する特徴とは「よく切れる」、「折れにくい」という特徴に表現されます。西洋などの刀剣は切るというよりも刺す、力任せに叩き切るというイメージがありますが、反面、折れやすく曲がったりするイメージもあります。フェンシングはその逆で、刺す、曲がる、素早いというイメージがあります。

いずれにしても、美術品としての側面もないとは言いませんが、私は日本刀の方が優れていると思っています。思い入れだけで言っている訳ではありません。日本刀は良く切れる上に折れにくい、曲がりにくいという武器として相反する長所を持っていますし、その怪しげで優美で隙のない姿からは美術品としての評価も高く、日本の風土の中で永い年月をかけて出来上がって来た芸術作品そのものだと私は考えています。


日本刀は昔から「武士の魂」と言われ、武家では永く大切に扱われて来ました。今でも地方の田舎へ行くと、代々続いている家では日本刀が錆びないように油紙に包まれて保管されていたりします。

また、海外にも日本刀の愛好家が結構いて、米国や欧州では鑑定会すら開かれています。中には外国人の日本刀鑑定士までいます。

私が日本刀に興味を持ったのは大学生時代でした。当時は東京に住んでいて新宿駅東口にある高野の裏通り付近にあった日本刀の展示や販売をやっていた刀剣屋を見つけ、そこで見ている内に次第にその魅力に魅せられ、時々、そこへ通うようになったのがきっかけです。日本刀は知れば知るほど興味が湧いて来て、その怪しげな魅力に魅せられて行きました・・・


しかし、一振りも買える訳もない学生でしたので、せめてと思い日本美術刀剣保存協会の会員になり、送られてくる情報誌を眺めては自分なりに専門語を憶えたりしていました・・・

更に、本屋で日本刀に関する専門書も購入して一から勉強もしました。本に赤線を引いて懸命に勉強しました。その本は後年になり、英語を教えて貰っていたカナダ人のドウェインという先生へ本国へ帰国する際に大切にしている本だからとプレゼントしました。大事にしていた本ですから、その事を話したら、読めないにも関わらず大変に喜んでくれてカナダへ持って帰ってくれたと思います。その本の中は写真と日本語だらけでしたので、果たして今も持ってくれているのかなあ?・・・


私が日本刀に興味を持った背景には高校生時代から中国や日本の時代小説や歴史を読んでいたことがあります。当時は吉川英治の長編大作や連作を読んだりしましたが、今思えば、三国史や項羽と劉邦などのページ数には心底、圧倒されました。それに、私自身も昔でいう薩摩出身なので、どうしても戦国時代や幕末時代の歴史は避けて通れない環境でしたので、余計にそうなったのかも知れません。


さて、ここから日本刀について、皆さんに話をしたいと思います。

そもそも日本刀は時代によって太刀の時代、古刀の時代、新刀の時代、そして新々刀の4つの時代に分けられます。太刀と刀の違いは見れば一目瞭然ですが、刃を下へ向けて拵える「太刀」と、逆に歯を上へ向けて拵える「刀」に大別されます。

どうしてそのように拵え方が反対になったかといえば、当然の事なのですが、戦闘方法が変わったからです。太刀の時代はそれなりの部将は「やあやあ、我こそはどこどこの何とぞよ」と叫び合ってから、一対一で勝負する戦い方がありましたが、次第に集団による戦闘や鉄砲の出現により、戦方が大きく変わったことが起因しています。

集団戦闘になれば、鎌倉時代や戦国時代のように日本刀へ求める機能も変わって行く訳です。名乗る戦闘もなくなり、何人もの敵を切る必要もあり、そのような要求が刀にも求められた訳です。

つまり、よく切れる刀とは身幅(刀の棟から刃先までの長さ)が長くなり、切っ先(切り終える際に機能する刀先の部分)も長く、如何にも人を切る機能が強化され、一人だけでなく何人もの敵を切れる刀へ変化した訳です。

このような中、鎌倉時代後期には戦乱が増え、有名な刀鍛冶である「正宗」が輩出しました。実は正宗という刀匠は何人もおり、その中の一人だけが、有名な国宝を生み出している正宗です。この時代は戦乱が多く、刀の機能面も大きく変わりました。逆に、天下太平の世では優美で姿が美しく、拵えもお金をかけて美術品のような刀が人々には好まれました。江戸時代はそういった時代が永かったのです。


さて、日本で初めて日本刀を作り始めたのは伯耆の国で、今で言う島根県出雲地方だと言われています。良質な砂鉄が採れたことが一番に起因しています。刀を作るには砂鉄から玉鋼を作り、良質な水、刀を鍛える為に温度の高くなる炭が不可欠になります。

日本刀の産地として有名なのは「五箇伝(ごかでん)」という地域です。五箇伝とは相州(今の鎌倉)、美濃(今の岐阜県南部や愛知県の一部)、山城(今の京都近辺)、大和(今の奈良近辺)近辺して皆さんも名前だけは知っていると思いますが、備前(今の岡山県)の5か所が日本刀の一大産地なのです。


この地方以外にも多くの産地があり、私の好きな刀に肥前物があります。少し緑がかった色の羊羹色の深みのある地肌が好きで、暗い中で静かに観ていると、怪しげな色と姿に魅せられ、如何にも業物といった雰囲気を感じます。また、拵えもいいのです。拵えとは鍔や鞘、それ以外の小物を指します。鍔などはそれだけの収集家もいます。

しかし、何と言っても本命は刀身そのものです。言うに言われぬ長い年月や持っていた武士の魂の重みを感じます。明るい中よりも少し暗い部屋の中で一筋の明りの中で眺めると、日本刀の長い年月と時代への想いが起こって来るのです・・・私には歴史そのものを感じるのです。


さて、五箇伝には各伝ごとの玉鋼からの鍛え方があり、焼き入れ温度や刀文の形なども異なります。五箇伝以外の地では独自の鍛え方があります。また、五箇伝自体にも刀鍛冶による違いもありすまし、同じ刀鍛冶でも若い時と年を重ねた時とでは作風も違います。

刀鍛冶には刀匠という呼び方もあり、同じ刀匠が何名もいますので、刀匠の名前や何代目とか言ったりします。こういった作品の地名やどの刀匠が作ったものかと当てることが鑑定会では競われる訳です。言わば、俗に言えば鑑定士です。そこまで辿り着くには知識、刀数、作風の鑑定などが決め手になるようです。鑑定士を育成するには良い刀をそれ程見る機会も少ないでしょうから、下手な作品を沢山見せることが育成法だと聞いたことがあります。それ以外は分るという話ですが、本当か否かは私には分かりません。


ここで、日本刀の切れ味について、皆さんは市川雷蔵の眠狂四郎という映画をご覧になったことがあるでしょうか?・・・円月殺法という独特の技で相手を切る伏せるのですが、狂四郎がその刀を一周ぐるりと自分の前でゆっくり回していくのですが、一周を回り終える前に相手は一太刀で切られており、バタッと相手はその場へ倒れ込むのです。柴田錬三郎の原作ですが、私は全て読んでしまいました。頭の中には映画化された主人公の市川雷蔵とダブって見えてしまい、若い頃には妙に憧れたのものです。この中で切れ味を示すシーンが幾つかありました。冑や兜を真っ二つにするとか、丸い石をこれまた真っ二つにする画面です。少々、オーバーに聞こえるでしょうが、実はそんな動画も探すと出て来ます。満更、嘘でもないのです。是非、you-tubeで日本刀の切れ味を探してご欄になって下さい。


話は少し変わりますが、日本刀を持っていた当時の日本人男性の平均身長は1メートル50センチ後半程度しかありません。そこへ約4,5キロの刀と脇差を付けている訳ですので相当重かっただろうと思います。日本刀は約4,5キロありますので、腰に鉄アレイを付けて歩いているようなものです。これで走り回るのは相当な激務です。馬も今風の足の長い背の高い馬ではないので、戦場での戦いは現代の我々からは想像するのは難しい程の激務だと思います。しかも雨だろうが、夜だろうが、走り回って命がけで戦い、それなりの相手であれば首まで切り取り、証拠として陣地へ持ち帰って首実検して貰う訳です。関ヶ原にも首塚跡があります。そこで洗って綺麗にして首化粧もして首実検に備えた訳です。敵方ながらも丁寧に供養して葬るのも当時の武士の礼儀でした・・・


ここでまた、話は変わりますが、日本には宗家と呼ばれる世襲制の家元があり、日本刀の鑑定家にも本阿弥家という家がありました。その本阿弥家の書いた日本刀の鑑定書はどこの鑑定書よりも信用度の高いものでした。その本阿弥家が日本刀の中心(なかご。刀を持つ手で握る部分)の地金部分に、実際に切れ味を試した記述が刻印されているものがあります。

例えば、「弐ツ胴切断」とか「三ツ胴切断」とかです。これは真剣で人を切った際の切れ味を表しています。人と言っても罪人の死体を使いました。弐つ胴と切り込まれてあれば、一太刀で胴体が二つに割れたという意味で、三つ胴は二回で割れたという意味です。当時、罪人の死体を使って実際に試し切りが行われたそうです。

そう言えば、公儀から依頼されて罪人や武士の切腹時の介錯を務めた山田浅右衛門家という方もいました。介錯人は腕が立つ人でなければならないからです。

当時は個人よりも家、家名を大事にすることが武士の生き方でした。人を切るということは生ある者の息を止めることなのですが、相手が罪人であろうが、相手を苦しませずに一気に息の根を止めるのが最上の技と言われていました。

よく、首の皮一枚残して切ると言います。それが最上の手腕であり、美学なのです。介錯人が首を後ろから切って切断するのですが、首の前の方の皮一枚を残して、死人の胸の前に首を抱えるように死ぬ姿が最上だと言われます。これが武士の美学なのです・・


話を戻しますが、日本刀は確かによく切れます・・それも痛みを感じない間に切れてしまいます。

新宿の刀剣屋では店員さんが展示を終えて刀を白鞘に収める際に、気付かずに指を切ったことがあると言っていました。日本刀はよく切れるのですが、切ったら刃に脂が付きます。脂が付くと日本刀は脂で次第に切れなくなります。家庭の包丁も同じです。永い間には刃こぼれを起こすこともあります。だから普段の手入れが大切になります。

日本刀は専門の研ぎ師に依頼します。砥石も何種類も使います。研ぐということは刀身が小さくなるということです。研ぐことを磨上げ(すりあげ)といいます。何度も研いでいると次第に刀身が細く小さくなります。この磨り上げに慶長磨上げという呼ばれるものがあります。文字通り戦国時代に作られた長くて大きな刀なのですが、時代と共に用途がなくなって小さくして後世に使えるようにしたものです。俗に慶長磨上げと言います。それだけ戦国い時代は人を切るニーズが多かったということです。


さて、日本刀は何度も言いますが、世界中を見回しても稀有な特性を持っています。美術品としての美しさもさることながら、本来の目的である「切る」という機能性の高さ、プラス「曲がりにくく折れにくい」という相反する特性も併せ持っています。日本刀は元々が簡単には折れないように作られています。切れる、折れないという相反する特性を併せ持ちながら、尚且つ美しい形や姿です。

その背景には日本人の優れた「民族的特性」があります。刃物ながら、同時に美や生命への畏敬、或いは知恵や工夫を盛り込む感性は他民族になかなか見られないようです。自然さえも日常生活の中に取り入れて風雅や哀れ、或いは無常といった日本人独特の感性すら生み出したと思います。


そろそろ、日本刀が切れ味が優れていながら折れにくいという種明かしをします。

相反する物理的特性を一本の刀で実現することは技術的に難しい筈ですが、日本刀は一見すると一本の鋼から出来ているように思われがちです。しかし、実際は玉鋼という砂鉄の粒を真っ赤に熱して、槌で上から叩いて何度も何度も折り曲げられ、また一本に伸ばして叩かれ、また曲げられて火花が出なくなるまで鍛える(叩く)のです。これが日本刀の優れた特性に繋がるのです。

鋼は鍛える度に硬く、強くなり、火花も散らなくなります。これを三つに分け、コの字型にして、その溝の中へこれとは違う、鍛えは少し弱いけれど曲がりやすい鋼を一本、そのコの字型の中に挟んで形を整えながら、打って行く訳です。

これを古くからずっと継承して刀匠はやり続けているのです。今で言えば、金属組織学の範疇なのでしょうが、古の人々はそれに負けない優れた技能を経験を通じてノウハウとして知っていた訳です。

私達は優れたもの作りDNAを民族として受け継いで来ています。工作機械、車、船舶、航空機部品、家電製品やその他の多くの分野でのもの作りにも継承されている訳です。


話が長くなりましたが、最後に五箇伝の中でも代表的な「備前」にスポットをあてて終わります。

日本刀と言えば、必ず出てくる名産地であり、余りにも有名な一大産地です。

量も質も国内最大です。備前には刀剣博物館まであり、多くの参観者で賑わっています。

私も行ったことがあります。

その備前ですが、日本刀を知らない人でも備前と聞くと、焼き物か刀程度の連想はされます。

それほど「焼く」ということでは有名なのです。

備前にも良質な砂鉄は勿論のこと、良質な炭、良質な水が揃った地だったのです。備前と言えば「長船」(おさふね)という刀鍛冶一門が殊に有名です。土地の名から来ています。

鎌倉時代から室町末期にかけて多くの名工を輩出し、その姿は形は優美にして優しく、反りは上品で刀身は細いのです。何とも言えない上品な作風です。上流階級や公家や朝廷にすら好まれたのです。

現在でも名刀の多くは備前物であり、日本刀の国宝や重要文化財の半分はこの地から生まれました。

私が学生の時に観たことがある「長船物」は正に風格や気品を備えた上品な作品で、当時でも三千万を超える国宝級のものがありました・・・今ならもっと高い値が付くだろうと思います。

備前物は匂い本位(所謂、焼き入れの波紋が雲や霞のように柔らかく大きくのたれている感じ)で刃文は丁子を基調とした作風です。

日本刀が好きな人にも好みがありますが、もっと実戦的で荒々しく、如何にも切れる大業物が好きな人もいます。そのような人からは備前物は大人しく見えますが、前にも書いたように日本刀はその時代や背景の影響を受けるために、作風にも自ずとその傾向が表れているのです。


日本が誇る美術刀剣として、是非、皆さんも機会がありましたら、古の時代に生きた人々やそれを差していた武士に思いを馳せてみるのも一考かと思います。

温故知新とは日本刀にも言える日本人の心だと私は思います。



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