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  • 執筆者の写真株式会社ビジョンクリエイト

生まれて初めての入院

今月の社長コラム発行に際しては読者の皆様にご迷惑をお掛け致しました。 実は先月後半から一昨日まで、生まれて初めての入院をしてしまいました。 場所柄、投稿する方法もなく、申し訳ないなと思いながら今日に至りました。

生まれて初めての体験でした・・・ 原因は高血圧によるもので、昨年春までは薬を服用していたのですが、それ 以降、面倒になり、服用を止めていたのです・・・ 実は、私は高血圧+高脂血症でもあります。 ズルズルして自分の体を放置していたら神がバツを下しました。 本当にそのとおりになりました・・・

その兆候が出たのが1月24日の夕方でした。 社員にいろいろと不満を話していたら、その時に「頭の違和感」を覚えました。 喋っている自分と、それを聞いている自分の間に、妙な違和感を感じたのです。 考えていることと話していることが違うことに・・・

その後、システム手帳を見ている時にも更に理解出来ないことが起こりました。 何と、人と約束している予約時刻の意味が理解できなくなっているのです・・・ 15:00なら午後3時なのですが、その時は表記そのものを含めてその意味が 何のことなのか分からなくなっていたのです。 この時は、かなり動揺してしまいました・・・ 急に、何時という時間の概念が理解できなくなっているのです・・・

その日は、早めに帰宅し、ゆっくりした後で総合病院の夜間診療へ行きました。 受診時に若いお医者さんでしたが、その日の様子を伝えました。 すぐに血圧測定をして貰いました。 その時の数値を私は一生、忘れないと思います。 240-143 です。 240!!??、これが私の血圧???!!!

直ぐに、頭部CRT検査が行われ、頭の中をチェックされました。 幸いに画像からは特に頭の中に血流が滞っているような部位はないとのことでした。 しかし、その時は頭全体が熱くて、そして割れるように痛かった・・・ 何とかしてー!!といった気分でした。 しかし、その病院では投薬も注射もなく、そのまま帰宅しました。 すぐに寝ましたが、最初は眠れませんでした・・・

翌朝、頭痛以外はいつもと変わらない感じでしたので、いつものように早朝、会社へ 出ました。 そして、いつものようにオフィス内の掃除を行い、社員の出社を待っていました・・ その時も、頭痛以外は特に変わった感じはありませんでした・・・ そして、社員が出社し始め、誰かが大丈夫ですか?とか、無理しないで下さい!? とか、そんなことを言われた時、頭がガーンとなりました。 うるさいなあ!黙ってくれた方が余程楽でした・・・ 頭の中でいらつくような感覚がありました。

その時の「イラツキ」で突っ張っていた自分の気持ちがプツンと切れた瞬間でした。 頑張って耐えていたものがはじけ飛びました。

そこで一挙に頭痛も大きくなり、昨年まで通っていた大学病院までタクシーで行く ことになりました。 タクシーの中でも頭痛がし、気分も悪く、到着してからの待ち時間に、トイレで 吐いてしまいました・・・ 受診の際に症状を先生に話したら、更に別の先生へ電話をして、何か専門語で話を され、相手の先生もすぐに駆けつけて来て、いろいろな質問をされ、直ぐにベッド が運び込まれて、私に向かって「今日は帰れませんので」と言われ、ベッドと一緒 に着いてきた看護師さんらに洋服を脱がされ、寝かせられ、そのままどこかへ運ば れてしまいました。 その場で、入院の手配指示が飛んでいました・・・

私にとって、生まれて初めての入院です。 何が何やら分からず、ベッドの上に仰向けで天井だけが見える光景でした・・・ あっちの階、こっちの階、そっちのエレベータ、こっちのエレベータといった具合 でした。 最後に、SCUとか書いてある部屋に落ち着きました・・・ そこに、その日から11日も泊まりました。

私の腕には投薬用の注射の跡が何か所も残り、腰の後ろには髄液採取の注射の跡 (これはズキンときます)や麻酔用注射の複数痕跡、腕には点滴用の注射針が打たれ、 心拍計、呼吸数、血圧計、こんなものが貼り付けられていました。 入院とは、こんなものなんだと初めての経験を割と冷静に観察していました。 その病院は看護師さんも多く、昼の人、夜の人、それぞれのチームが幾つもあって、 さすがに大学病院は若いキビキビした看護師さんが多かったなと思います。 私はその日以降、MRIや脳関連診断やらを受診し、それ以外はベッドでひたすら 降圧剤などの点滴を受けていました・・・

担当医から、今回のことについて、ご本人が自主的に早く来院されたので助かった んですよと言われました・・・ もし遅れていたら脳の受けるダメージも大きく、後遺症が残ったり、体の一部が動 かなくなったりしたかも知れませんと言われました・・・ 「薬は必ず飲んで下さいね」と叱られました・・・

また、私の部屋の両側には仕切りがあって、同じように2つのベッドがあり、そこに は私より年長の患者さんがいて、脳に何がしかの障害でも残ったのでしょうか、一人 で自分の名前を何度もゆっくり反復している患者さんもいました・・・ 看護師さんの話では、私などまだ若い方ですよと言われ、ここでも高齢化を実感しま した。 確かに横の方は80歳前後の患者さんでした・・・

病院の面会時間は午後から夜8時までなのですが、よく毎日のように来られる家族が いました。 患者さんには高齢者が多いので、自然と面会に来られる方もシニア世代で、しかも女性 が多く、しばし親子で団欒の時間になっていて、これはこれで、なかなか家族はいい ものだなあと感じました・・・ 高齢の父と娘達なのですが、とても幸せで楽しそうでした・・・

また、実際にいらっしゃったのですが、夜中にベッドから「オーイ!」、「オーイ!」と 自宅で誰かを呼んでいるような声を出す患者さんもいました。 何度も呼ぶので、私が代わりに看護師さんを呼んであげたこともあります。 「隣の方が呼んでいましたよ」と教えると、看護師さんは患者さんのところへ行って 「どうしたんですか?・・」、「トイレですか?・・」、「眠れないのですか?・・」 などと、声を掛けているのを聞き、介護施設のことを思い出しました・・・ これから高齢化がもっと進むので、医療施設と介護施設の違いや仕事内容も今とは変わって 来るんだろうなと何故かしら自分のことのように感じました・・・

最後になりましたが、私の至らなさで、夜中にある事件を起こしてしまい、多大なご迷惑を 看護師さん達にお掛けしたことをこの場をお借りして心よりお詫び申し上げます。 翌朝、ちょっとした有名人になっていたのには赤面でした・・・

最後に、私の病室から毎日眺めていた風景のことを書いておきます。 随分と癒されました・・・ おそらく一生忘れない風景だろうと思います。 それは病院の前にあるモノレールの駅で、私の寝ていた窓から正面に見えていました。 永い間、毎日、毎日、人やモノレールやその向うの風景を子供のように眺めていました。 とても好きな風景でした・・・

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