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霜柱と想い 第258号

  • 執筆者の写真: 会長
    会長
  • 2023年2月1日
  • 読了時間: 6分

更新日:2025年1月31日

まだまだ、寒い日が続いていますが、それでも季節は少しずつ少しずつ移り始めています。

私が小さい頃と言うと、今から数十年前の小学生時代ですが、今頃の季節の朝は寒くて登校時には霜柱や靄がかかった風景がありました・・・

毛糸のモヤモヤとした手袋を両手にはめて、黒色のランドセルを背中に背負い、確か半ズボンを穿いていて、3,4人の友達と一緒に白い息を吐きながら、小学校までワイワイガヤガヤと歩いて行った懐かしい記憶が懐かしく蘇ります・・・

その頃はまだまだ畑や田んぼがそこら中にあった時代で、田んぼには稲の切り取った跡だけが残り、道は舗装などされておらず雨が降れば水溜まりが出来る、そんな時代でした・・・

今では細い道まで整理され、舗装された道も多く、当時とは隔世の感がします。更に空地や稲刈り後の田んぼなども見かけなくなったばかりか、地球の温暖化による影響なのか、冬に霜柱を見かけることも無くなりました・・・

あの霜柱を踏みながら小学校へ通った頃が妙に季節との一体感があったように感じます。


また、冷え込んだ寒い朝にはこんな光景も思い出します・・・

小学生の私達は、皆で霜柱を踏みつけながら通りました。それもわざわざ霜柱を探しては踏み続けるという遊びの延長のような通学でした。「ザクッ、ザクッ」というあの気持ちのいい音色が今でも耳に残っています。寒くて手足は冷たいのに、飽きずに友達と霜柱を踏み続け歩いていました。

先日、そんなことを思い出しながら、その頃の友達の家や田んぼや畑は今、どうなっているんだろう?と思い出し、ネットで探してみましたが道も家も当時とは変わっていました。

恐らく、区画整理や家や工場や建物も新しく建てられ、歩いて通った道ですら探せませんでした。

ただ、小学校だけは校舎のレイアウトは変わっても当時と変わらず残っていました。

少子化で規模が小さくなったと思いますが敷地は当時のままでした。

かつては全校生徒数が3千人もいたマンモス小学校でした。5、6年生の時はクラス数が18組までありました・・ 今ではその何分の一もないかも知れません。

もう、あれから数十年が経ってしまいました・・・


今、ネットで調べてみたら当時にあった川やその名前が残っていたこと、また、その横にあった製綿工場もそのまま残っていたことは嬉しい驚きでした・・・

今迄に何回か帰郷した際、その頃に住んでいた近辺を車で通ってみましたが、どこも小さくなったような感じて、家や道路も小さく見えて子供の目線と大人の目線の違いがこんなにも違うものかと感じて何故か寂しい気持ちでした。時間の経過とは時に残酷なものだと感じます。

歳月は致し方ないことですが、自分の老いを感じるのでしょうか・・・


このような時に、「故郷は遠きにありて思うもの」という、大正・昭和時代の詩人・小説家であった室生犀星の詩が思い出されます。

この詩には故郷に帰れない作者自身の思いが込められているそうです。

原文は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」というものです。

作者自身の身上を語っているのですが、そこには我々には理解できない出生の苦しみがあります。余計な話ですが、あのスティーブ・ジョブスの身上話と類似していると感じます。生まれながらに我々とは異なる運命の元に生まれ育った人の話です。苦しくて、苦しくて、それでも生き続けた人の話です・・・そう思うとこの詩の重みが凄いなあと感じます・・・


私の小学校時代の冬は今よりも確かに寒かったと思います。

家の中でも火鉢や石油ストーブ、そして炬燵位しかなく、寒いことは寒いのですが、子供は家の中よりも外で遊ぶことが多く、学校へも友達と半分は遊びながら30分以上かけても苦にならないで通っていました・・・

今にして思えば、懐かしく、楽しく、そしてその頃の友達は今はどこで何をしているんだろう?と懐かしく思い出します。隣近所の友達、少し離れた所に住んでいた友達、その頃は兄弟も多くて今とは家族構成も違いましたし、お爺さんやお婆さんも一緒の友達も結構いました。

時代と言えばそうですが、何故か貧しさとか兄弟の多さとか決して今よりも物資的に恵まれてはいませんでしたが、それでも心の豊かさや幸福感は今よりあったと思います。物質的に豊さは形であり、心の豊かさは形がありません。見えない豊かさこそ人は幸せを感じることがこの年になって分かります。

心の豊かさの一例いついて紹介しますが、私にはたった一年ほど一緒に仕事をした方で年に一通だけの賀状を出し合う相手がいます。もう50年近くになります・・・

どんな顔だったかも、どんな声だったかも全く記憶がありませんが、その賀状だけは共鳴し合っているような気がしています。この賀状は互いの生きている証明書でもあり、いつ途切れるかも知れないものかも知れません。しかし、手元に届くととても嬉しく感じます。幸せな気持ちになります。

私の心の中に暖炉が灯るからです・・・


昔は良く見られた霜柱ですが、今では地球温暖化の影響なのか気温は上がり氷点下になることも少なく、道路の舗装化も進み、霜柱も都会では見なくなり、あの懐かしいバリッ、バリッという霜柱を踏んで歩く音も聞かれなくなりました。

あの音は私には小さい頃の懐かしい音として心地よく残っています。友達とふざけながら、白い息を吐きながら通った道が懐かしいです。

よく遊んだ空地も公園も桜の木も今はどうなっているのでしょうか?

友達の家もまだそこにあるのでしょうか?・・

友達はどんなおじさんやおばさんになっているんだろうか?と会ってみたい気持ちもありますが、それはそれで良い思い出として残しておく方が良いように思います。

会うと互いに幻滅したりする可能性もある訳で、今のままが良いかも知れません。

今も変わらないものと言えば、真っ青な空と夜の星空、そしてデーンと構える桜島だけは昔と変わりません。


あと2ケ月ほどで冬も変わり始めます。徐々に季節が変わり始めます。もう何年もこのような四季の中で生きて来ましたが、春夏秋冬、自然の動きながら、花々や動物たちも動き始めます。

こうやって人間も自然界の中の生き物として歳月の中で繰り返し、繰り返し、毎日、毎日生きているんだなと思うこの頃です。

皆さんも健康に留意され、毎日、毎日を生きて行きましょう

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